まとめると

宇多田を売り出したスタッフ達が、金をかけて他歌手を何人売り出しても売れなかった

宇多田の父親は米国でふらふらしていたニートで、藤圭子と結婚して
付き人して個人事務所を設立したが藤圭子は全く売れなくて
数年に一度くらい懐メロ番組に呼ばれるだけになり
宇多田父親が主導して作った藤圭子のアルバム曲は酷くてコンサートで回っても数百枚しか売れなかった

宇多田のデビューアルバムの数人の編曲家は日本人で昔から多くの邦楽歌手の編曲してる人ばかり
宇多田っぽい曲を作ったり宇多田に似た曲の編曲経験のある人はいない

宇多田は10歳から曲を作ってアルバムを作っている早熟だが売れたのは
時代にあったり偶然の産物

プロデューサーやスタッフや宇多田の父親に能力があったわけではない

宇多田は16歳のころGLAYのTAKUROと共作してシングルを出したり
17歳のwait&seeからは編曲も共作が増えて本人が作っている