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今年7月の本誌(「週刊新潮」)の取材時、花田氏はこう語っていた。

「僕は父(先代の大関貴ノ花)の“スカウト”で角界入りしたわけですが、あれは素質を見込んでのスカウトではなかったように思います。
つまり、ひとりの相撲取りとして入門したのではなく、あくまで逸材と言われた『弟の兄』としての入門だったんでしょうね」

そして、若貴兄弟として騒がれたものの、
「若い女の子のファンは全部弟で、僕のファンは男がメイン。僕の女性ファンは年配の方が中心で、気付いたら20歳で『シングルマザーが結婚したい男性ナンバーワン』になっていました。
『あっ、俺ってそういうポジションなんだな』と。要するに、僕は弟の壁だったんだと思います。
若乃花という兄が壁として存在することで、弟は誰からも変なことをされない。僕は弟を横綱にするためのお目付け役に徹していました」

ところが前記の通り、その後、兄弟は不仲に至るわけだが、
「決定的なきっかけは95年の11月場所。史上初の兄弟優勝決定戦に僕が勝ったことでした。正直、負けたいくらいでしたが、結局、勝ってしまった。
以来、弟の中に『しこり』のようなものが生まれ、事あるごとに向こうから突っかかってくるようになったんです。僕
としては、何も含むところはなかったんですが……。でも、(弟から)今もう一度話そうと言われてもウェルカムではないですね」