siaのPVと今回のノンフィクションは全然表現しようとしてるものが違うんだが、ホントに見たのかと言いたくなるね

平手のはノンフィクションの歌詞の世界観を自分なりに解釈したものを振付け師に振付けしてもらって、曲を表現するためのダンス
一方でsiaのChandelierはマディ・ジーグラーが11歳の時のものだが、11歳の女の子が表現できるような歌詞ではないし、歌詞とは関係なくマディが自分の身体の自由を見せつけるために曲に合わせて好きなように踊っている

つまりノンフィクションの平手の表現は作品のテーマを表現するミュージカルや演劇に近く、Chandelierのマディの表現は自分の身体を使って演奏するフリージャズに近い

コンテンポラリーダンスを表現として使っていても、その目的が全く違うのに表面的な類似性にさか目があかないのは鈍感すぎる
新妻聖子だけでなくTwitterを見れば多くの中高生が平手のやろうとした表現を理解して感動しているのにね