多田野は母子家庭で育った。
部費や必要経費の金の問題はいつもついて回った。グラブ一つ、ユニフォーム一着無駄にできない環境。
未だに継接ぎの衣類を使用する。そんな中でも、多田野の母は野球を続けさせた。
華麗な物や艶やかな流行には目もくれず多田野もそれに答え、みるみる頭角を現していった。
子供の頃からの夢だったプロ野球選手だったが、高校卒業時はドラフト指名は得られなかった。
大学に進み、世代を代表する投手と言われ始めると、色々な球団から栄養費が支給された。
好景気であった事もあり球団によってはかなりの金額だった。多田野はそれをすべて親孝行と借金の返済に当てた。
キャッシュカードも余分な金もいらない。母に楽をさせてやりたい。多田野青年は母の苦労を知っていたのだ。
だがそんなおり、愛用のグラブが壊れてしまう。栄養費は母の口座に振り込んだばかり、手元に金はない。
まさか返してくれと言えるはずもなく、多田野青年は途方に暮れた。
じつにそんなとき、ゲイ雑誌の片隅にビデオモデル募集の広告を見つけたのだ。
ですから多田野はお前達の言うような男ではない。真面目で誠実な青年なのである。