父・堂上照も70年代に中日でプレー

中日ドラゴンズのオールドファンにとって「堂上(どのうえ)」という名前には、懐かしい響きがあるはずだ。

堂上照(てらし)は金沢高校、電電北陸を経て1970年のドラフト6位で中日に入団。
1970年代中期に星野仙一、松本幸行、三沢淳らと竜の強力投手陣を形成した。
184センチ84キロと大柄で、豪快な投球フォーム。先発、救援で活躍。
また打撃も良く通算4本塁打を記録している。通算成績は35勝49敗7セーブ、防御率4.36だった。

堂上照は引退後、長く球団職員をしていたが、その息子が堂上剛裕、堂上直倫の兄弟だ。
2人は3歳違い。兄の剛裕は、愛工大名電高に進み、2002年春、2003年春、夏と3度の甲子園出場。
強打の内野手として2003年のドラフト6位で中日に入団した。

弟の直倫も、愛工大名電高に進み、兄と同じく、2005年春、夏2006年夏と3度甲子園に出場。
2005年春は2本塁打するなど、超高校級スラッガーとして注目され、2006年のドラフトでは3球団が競合。地元中日がくじを引き当て、1位指名で入団した。

兄・剛裕は184センチ93キロの右投げ左打ち。弟・直倫は184cm、82kgの右投げ右打ち。
ともに大型の野手であった。兄はプロ入り後に外野手に転向。2007年に37試合に出場したものの、ほとんどは2軍暮らし。
2009年までの6年間で、1軍出場はわずか48試合にとどまっていた。弟もプロ入り後3年間の1軍出場は5試合だけだった。

兄・剛裕は2014年オフに中日を戦力外、巨人へ移籍

そんな堂上兄弟が、そろって一軍でプレーしたのは2010年のこと。
兄は左の代打の切り札、そして4番目の外野手として、58試合に出場して97打数24安打2本塁打17打点、打率.247を記録。
弟は主に二塁手として82試合に出場し、259打数68安打5本塁打30打点、打率.263をマークした。
ちなみに、中日で兄弟選手が同時期に一軍でプレーしたのは、
1954年の田原基稔、田原藤太郎兄弟、1969年の江藤慎一、江藤省三兄弟、1988-90年の仁村薫、仁村徹兄弟に続き4組目のことだ。
 
兄の剛裕は2012年にキャリアハイの85試合に出場。
だが、平田良介や大島洋平らの台頭もあって徐々に出場機会が減少。2013年は44試合、そして6試合出場に終わった2014年オフに戦力外となった。
2015年は育成選手として巨人へ。キャンプ中に支配下契約を勝ち取り、この年、主に代打として59試合に出場し、98打数27安打3本塁打13打点 打率.276を記録した。

2016年も代打を中心に出場したが、46試合で48打数8安打2本塁打6打点、打率.167にとどまった。そして、2017年の今季は1軍出場はなし。
オフに戦力外通告を受けて現役引退を表明し、14年間に及ぶ現役生活にピリオドを打った。
1軍での通算成績は407試合646打数167安打15本塁打86打点、打率.259だった一方で、2軍の成績は812試合2462打数711安打42本塁打306打点、打率.289。
2軍では好成績をマークしていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171120-00093821-fullcount-base
11/20(月) 7:10配信

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http://npb.jp/bis/players/01205114.html
成績 堂上 直倫

http://npb.jp/bis/players/01905119.html
成績 堂上 剛裕