【横綱の品格】 「礼節をわきまえ思いやりを持ち美しくなければ相撲ではない」

■大相撲は“神事”である

 大相撲に於ける神とは八百万(やおよろず)の神であり、土俵のしつらえや力士の行う所作の一つ一つには神との関わりがある。
 例を挙げれば俵(たわら)で丸く囲う土俵は“神の下りる場所”であり、土俵の上に吊るされる4色の房は春夏秋冬や四神相応(しじんそうおう)を表わす。
 
大相撲場所前日には相撲の神様を土俵にお招きするための土俵祭りを行う。
 また、
 千秋楽の後には土俵の上で新弟子が行司を胴上げするしきたりがあり、15日間見守ってくださった神様に感謝する“神送りの儀”が行われる。

 15日間の土俵は“神の庭”とされ、力士達の所作(しょさ)ひとつにも深い意味がある。
 四股(しこ)は土の中にいる魔物を踏みつぶすとされ、水をつけるのは身体を清める意味を持ち、塩をまくのは土俵に穢(けが)れをいれないためとされ、蹲踞(そんきょ)の姿勢は相手を敬う意味を持つ。
 
 立合いで両手をつけることは悪霊を追い払う所作であり、懸賞金を受け取る手刀は勝負の三神に感謝を示す所作である。
 
 横綱だけに許された土俵入りの意味は、拍手(かしわで)を打ち四股を踏むことで、神を鎮め地面の下の悪霊を封じ込め、
 五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う。
 
横綱とは、許された力士だけが“腰に締める綱”の名称であるが、横綱とは御幣(ごへい)の下がった注連縄(しめなわ)であり、
 それは、神社の鳥居・本殿や各家の神棚などに飾られる神聖な綱であって、横綱を締める者は相撲界に於いて現人神(あらひとがみ)とされている。

 こうした立場の力士(横綱)に品格が求められる事は言うまでもない。

【武士道に通じる相撲道】

 相撲には“美しさ”が求められる。
 それは勝者が敗者をいたわる姿のことだ。相撲道は武士道の流れをくんでおり、
 
武士道には、
 “敗者の痛みを勝者が思いやる心構え”が説かれている。

 そのことを理解していれば、
 土俵の上でガッツ・ポーズをすることなどできるはずがない。

 土俵のルールにも相撲道を表現していると考えられる、「かばい手」「生き体」「死に体」等は土俵の上で、相手に怪我をさせないための取り決めであり、日本人独特(固有)の思いやりの表れである。

 双葉山関と交流のあった、思想家:安岡正篤氏の力士規七則には、 

 「人にして礼節なくは禽獣にひとし。
 力士は古来礼節を持って聞ゆ。謹んでその道の美徳を失うことなかれ。」
 
と記されている