>>1の続き)

 NPBのドラフトは最初から、MLBとは違っていた。MLBのドラフトが前年の下位チームから順番に選手を指名していく「完全ウェーバー制」だったのに対し、NPBは、事前に名簿を提出し、選手が重複すればくじ引きで指名球団を決めるというものだった。
「完全ウェーバー制」には巨人などセ・リーグの球団が反対したため、このような形になったと言われる。

 最初から日本のドラフトは、不完全な形でスタートした。しかし、その効果は劇的だった。
セ・リーグでは導入された1965年から巨人のV9が始まるが、これが終わった1974年以降、広島、ヤクルトがセ・リーグで初優勝。中日、阪神、横浜(現DeNAベイスターズ)も優勝し、セの戦力均衡は進んだ(右表)。

画像:1950年以降の両リーグ優勝チームの推移
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【セ・リーグ優勝回数】
合計 球団(旧名含む)
36回 巨人
11回 中日
*8回 広島
*7回 ヤクルト
*3回 阪神
*2回 DeNA
*1回 ※松竹
1965年にドラフト導入→戦力均衡

【パ・リーグ優勝回数】
21回 西武
18回 ソフトバンク
12回 オリックス
*7回 日本ハム
*5回 ロッテ
*4回 ※近鉄
*1回 楽天
(注)※の球団は消滅
(出所)NPBの年度別成績を基に編集部

 パ・リーグは、50年代、南海(現ソフトバンク)と西鉄(現西武)が2強だったが、ドラフト施行後、群雄割拠の時代になった。これまで優勝に縁がなかったチームは、チャンピオンフラッグを得るたびに観客動員を増やした。

 長く観客動員でセの半分以下に甘んじていたパ・リーグだが、2017年の入場者数は、セ・リーグ1400万人余の動員に対し約1100万人と、もう少しで肩を並べるまでになった。

 MLBもドラフト制度を導入後、戦力均衡が進んだ。それまで、映画やミュージカルにもなったように「くたばれ!ヤンキース」といわれ?圧倒的に強かったヤンキースが「普通のチーム」になり、多くの球団が優勝争いに絡むようになる。

 MLBはこの機を逃がさずエクスパンション(球団拡張)を進めた。1964年時点で20球団2128万人だった観客動員は、10年後の1974年には24球団3002万人、現在は30球団7267万人にまで拡大している。

 ドラフトによる戦力均衡の進展は、日米ともに球界全体に大きな恩恵をもたらしたと言える。

■ドラフトの半世紀は「骨抜き」の歴史

 しかしNPBのドラフト制度は、施行後も、新人獲得にまつわるさまざまなトラブルを引き起こした。そして何度もルールが変更された。大まかな変更だけでもこれだけあった。

1965年 ドラフト制施行?指名重複の抽選は1位だけ。2位以下は前年の球団順位による。
1966年 1次、2次の2回実施される(この年だけ)。
1978年 2位以下も指名重複の場合は抽選。
1991年 指名重複の抽選は4位までとなる。この年限りでドラフト外入団が廃止される。
1993年 高校生以外の1、2位指名選手に「逆指名」を認める。
2001年 「逆指名」に代わり「自由獲得枠」を設置。内容は「逆指名」とほぼ同じ。
2005年 「自由獲得枠」は「希望入団枠」となる。高校生と大学・社会人の2回ドラフト会議が行われる。「育成枠」も設けられる。独立リーグの選手もドラフトの対象となる。
2007年 「希望入団枠」廃止。1位指名のみ重複した場合は抽選となる。
2008年 高校生と大学・社会人のドラフトを統一。

 MLBではこの間、年2回行われていたドラフト会議が、1986年から6月の1回だけになった程度で、制度そのものは導入時とほとんど変わらない。

(続く)