今年で創設103年を迎え、これまで大地真央、黒木瞳、天海祐希ら数々のトップ女優を世に輩出してきた宝塚歌劇団。
「タカラジェンヌ」と呼ばれる宝塚音楽学校を卒業した未婚女性だけで構成される舞台は、熱烈なファンも多く、今なお根強い人気を誇っている。

そんな宝塚歌劇団といえば、男子禁制の「女の花園」を思い浮かべるが、
実はその長い歴史の中で、男性団員が在籍していたことは、あまり知られていない。

宝塚歌劇がスタートしたのは、1914年4月1日のこと。
当時、阪急電鉄の前身にあたる箕面有馬電気軌道の創業者だった小林一三が、沿線開発の一環として宝塚駅に「宝塚新温泉」を開業し、
温泉客向けのプールを改造した劇場で少女歌劇の公演を行ったことに始まる。
ちなみに、当時はあくまで余興という位置づけだったこともあり、観覧は無料であった。

斬新な歌と踊りによる華やかな舞台は瞬く間に注目を集め、1924年に4000人収容の「宝塚大劇場」が完成すると、
宝塚歌劇団の人気は不動のものとなった。
しかし、太平洋戦争が長く続く中で劇場も閉鎖。公演を再開したのは終戦直後の1946年のこと。

これと前後して、創業者の小林はあるプロジェクト―「男子部」の結成を提案する。
1945年に1期生5人が入団して誕生。1952年までに計25人が入団し、宝塚音楽学校などで歌やバレエのレッスンに励んだという。
ところが「男子部」は結成からわずか8年余りで解散という悲劇を辿ることとなる。
その最大の理由は、「宝塚の舞台に男は似合わない」「男役がいれば、本物の男は必要ない」といった、宝塚ファンや女子生徒たちの反発の声だった。

かくして彼らはカーテン裏からコーラスに参加したり、舞台装置を動かすなどの裏方に終始。
俳優として一度も劇場の舞台を踏むことはなかった。
もし宝塚のメインステージに男性がいたら、どのような歌劇を演じたのか。
「男役」との競演もあったのだろうか。(栗)

『週刊現代』2017年11月4日号より


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