0001砂漠のマスカレード ★
2017/11/06(月) 20:55:51.53ID:CAP_USER9きょう11月6日は、元プロテニスプレイヤーの松岡修造の誕生日である。
1967(昭和42)年東京生まれの50歳。
いつからか熱血キャラとしておなじみとなり、「彼が日本を離れると気温が下がる」という冗談まであるほどだ。
2014(平成26)年には、松岡の熱い名言を日めくりカレンダーにした『まいにち、修造!』(PHP研究所)が発売され、ベストセラーとなった。
スポーツキャスターやタレントとして多くのテレビ番組に出演するほか、指導者としても、主宰するジュニアキャンプで11歳だった錦織圭の才能を見出すなど、実績を残している。
テニスを始めたのは、慶應義塾の幼稚舎(小学校)4年のとき。
慶應高校に入るとモチベーションが下がってしまい、しばらく練習をサボっていたが、これではいけないと気づき、心機一転、福岡の強豪・柳川高校に転校した。
慣れない寮生活のなか、再びテニスに打ち込んだ松岡は、高2のとき高校総体でシングルス、ダブルス、団体戦の三冠王を達成するまでになる。
このあとさらに高みを目指し、高校を中退してアメリカに渡ると、ボブ・ブレッドコーチの厳しい指導を受けながら19歳にしてプロに転向した。
以後、1995年にはウィンブルドンで日本人選手としては62年ぶりにベスト8進出をはたすなど、輝かしい成績を収める。
だがその陰で、壁にぶつかることも少なくなかったという。ケガや病気にも何度となく悩まされた。
そのたびに「なぜ自分ばかりこんな目に遭うんだ」と苛立ちや挫折感を覚えながらも、
やがて「どうすれば早く復帰できるのか」と考え方を切り替えることで、前向きになれたという(『日経ビジネス Associe』2016年8月号)。
1998年にプロツアーを“卒業”してからは、キャスターなどの仕事を通じ、アスリートを応援する立場に徹している。
「応援しながら選手の情報を伝える今のポジションも、天職だと思います」(『日経ビジネス Associe』2016年9月号)と語る松岡は、
3年後には東京オリンピックを控え、熱血ぶりに拍車をかけようとしている。
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http://news.livedoor.com/article/detail/13850258/
2017年11月6日 7時0分 文春オンライン