伊達公子さんは日本テニス界の至宝と呼ばれ、1995年には自己最高の世界ランク4位を記録した。それだけに、伊達さんがそのわずか1年後に現役引退を表明したことに、世間は大きな衝撃を受けた。
「テニスが嫌いになったのは世界トップ10が近づいてからです。それまでは、勝てばそれまでの苦労がすべて打ち消されるだけの達成感がありました」
しかし次第に、勝つことが当たり前になり始めた。
「例えば、グランドスラムの2週目に残るのも、自分にとってもメディアにとっても当たり前になっていました。負けるとすごく大きな出来事になってしまって。そういうことに敏感に反応するようになりました」
当時は海外で活躍する日本人アスリートが少なかったこともあり、メディアから大きな注目を浴びるようになった。同じぐらい注目されていた日本人アスリートは、1995年に渡米したプロ野球選手の野茂英雄さんしかいなかった。
「テニスは欧米のスポーツという認識があり、アジア人が勝てるはずがないという空気もありました。今みたいに中国人選手がいたわけでもなかった。また上の選手たちを見てると、色々なものを犠牲にしてでもナンバーワンになるという姿勢が、私にはまだまだ足りないなと思い、メンタルの疲労度が大きくなっていました。気が付くと、小学校の時にあまりにも楽しくて、暇さえあればボールを打っていたような感覚とは大きくかけ離れていました」
25歳で最初に現役を引退した後、伊達さんは人生と結婚生活を満喫した。しかし12年後、現役復帰を決めた。
「1回目の引退をしたときは、もうテニスがすごく嫌いでした。テニスから離れたいと思ってずっと離れていましたが、解説を通してテニスを見たときに、捉え方が変わって、またテニスが楽しい、やりたいなと感じるようになりました」
しかし、復帰後には自分よりも20歳若い選手たちと戦うことになった。
「目がついていかなったんです。ブランクもあるので」と打ち明ける。
けがにも苦しんだものの、伊達さんは現役生活を続行し、「現役最年長選手」記録を破った。2009年には女子テニス協会(WTA)タイトルをとり、最年長から2番目のタイトル獲得者となった。2010年には世界ランク46位になった。
どこかの時点で体力の限界を感じたことはあるか、尋ねてみた。
「限界は何度もあったと思います。でも自分自身がここで線を引けば、限界だとずっと思っていたので。自分の中では限界を作りたくなかった。ぎりぎりのところを攻めていかないと、若い選手たちと当然向き合えませんから」
つづく
2017年11月1日 10時49分 BBC News
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/13830304/