いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年10月30日、NECホームエレクトロニクスが家庭用ゲーム機「PCエンジン」を発売した。定価は2万4800円。

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任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)の一人勝ちの時代にあって、それに対抗すべく他社もこぞってゲーム機を出した。
PCエンジンもその一つで、ゲームメーカーのハドソンと、通信・情報機器メーカーのNECが組んで開発された。

ハドソンはファミコンにソフトを提供して大きな儲けを得た。
しかし同時に、ソフト開発のレベルがファミコンのCPU(中央演算処理装置)の能力を超えてしまい、
いくらゲームクリエイターがクオリティの高いものをつくろうとしても、ファミコンでは実現できなくなっていた。
そこで、独自にCPUを開発することを思い立つ。ここからハドソンが設計し、セイコーエプソンが製造して完成したのが「HuC62」という高性能のCPUだ。

ハドソンはこのHuC62を用いて何かできないかと、いくつか取り引きのあるメーカーに持ちかけたところ、NECが関心を示す。
このころNECでは、パソコンビジネスが情報処理事業グループに引き継がれ、それまでパソコン開発に携わっていた開発者たちが子会社のNECホームエレクトロニクスに出向していた。
彼らのあいだではメモリにCD-ROMを採用した家庭用ゲーム機の開発の機運が高まっていたが、
同社には安いハードウェアをつくるための設計力がなく、思うように進んでいなかった(滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』青春出版社)。そこへ舞いこんだハドソンからの話は、まさに渡りに船だった。

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こうして生まれたPCエンジンは、動作が、同じ8ビット機でありながらファミコンの4倍ものスピードを誇ったといい、迫力ある画像、リアルなサウンドを実現して話題を呼ぶ。
結果的に、PCエンジンは任天堂の市場を脅かすまでにはいたらず、国内出荷台数は約392万台と、1990(平成2)年に発売されたファミコンの後継機「スーパーファミコン」の1700万台超にはとてもおよばなかった。
しかし、1994年に『ときめきメモリアル』が社会現象を巻き起こすまで、発売から7年ものあいだ“現役”であり続け、ファミコンに比肩する長寿を保つことになる(多根清史『日本を変えた10大ゲーム機』ソフトバンク新書)。

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2017年10月30日 7時0分 文春オンライン