○肉声を公開するリスクも負って

そうして、1週間にわたるやり取りを経て、息子は覚悟を決め、「自分の人生をこのまま隠して生きるより、きちんと世間に伝えたい」という思いで、番組のインタビューを承諾。
その思いを伝えるために、音声加工はせず、肉声を公開するというリスクまで負った。
そんな彼の決意に対し、張江氏は「動きのある映像は撮れないけれど、君の24年間の人生を1時間だけで伝えることはできないから、
一か八かだけど2週連続で放送する覚悟でやってみせる」と応えたという。

『ザ・ノンフィクション』では、常に40ものチームが同時に動くディレクターたちが取材し、チーフプロデューサーはそれを統括する立場だが、
こうした経緯もあって、極めて異例ながら、今回は張江氏自らがメインで取材することになった。

「このインタビューをただ普通に『1人の青年がフジテレビに語ってくれました』というところから始めたとしても、伝わらないような気がしたので、
取材プロセスも含めて全部明かした上で、私の1人称で語るスタイルにしました。
息子は私に対して誠心誠意答えてくれたと思うので、『自分も君のために逃げも隠れもしないぞ』という気持ちで、姿を出す形になりました」と説明する。

●前編放送後に出た言葉…「やっと報われる」

○取材を通して親子のような関係に

前編の放送では、息子が目撃した残忍な犯行の表現も語られたが、「日曜日の昼間に流すことは躊躇(ちゅうちょ)しましたね。
実際に視聴者の方からのクレームもあったんですが、そこを抜きには語れない」という判断で放送。
後編では、母・緒方純子受刑者から届いた手紙を初公開し、父・松永太死刑囚との面会の様子も明かされる。

ここで不思議なのは、前編では母親に対して、比較的強い口調で「すごく嫌いなんです」と嫌悪感をあらわにしていたが、その母からの何十通もの手紙を、捨てずに保管していたことだ。
張江氏はこの疑問に対して、「そこが愛憎ですよね」と解釈。
「最初は私に『捨てたからもう無い』って言ってたんですが、2回目に会った時にカバンから出して、『これを煮るなり焼くなり使ってください』って渡してきたんです。
でも、封筒の破り方がひどくて、そこに彼の感情がものすごく表れていると思いました」と振り返る。両親にはいずれも面会に行っているが、回数は圧倒的に母親が多いという。

また、10時間にわたるインタビューを後編まで見ていると、息子のある変化に気づく。張江氏に対して、だんたん"タメ口"で答えるようになっているのだ。
それは、心を開いていったことの表れで、最近では何かあるごとによく電話がかかってくるという。

今年50歳の張江氏とは、ちょうど親子ほどの年齢差。父親の愛情を全く受けずに育ってきた彼にとって、まるで親代わりのような存在となっており、
「『これをきっかけに、出版社とかから発信することがあったら、張江さん付き合ってくださいね。すごい不安だから裏切らないでください』とも言われました。
後編では、養護施設を出てから世の中のひどい仕打ちにあったことを語っていますが、またそんな経験をするんじゃないかという恐怖心があるんですよね」と思いやる。
張江氏は彼のことを、本名の下の名前で呼んでいるそうだ。

前編の放送が終わり、反響を伝えたときの息子の反応はどうだったのか。
「『放送が無事に終りました。Twitterの反響もすごいです』とLINEで送ったら、それに対して『ありがとうございます。
どんな意見が寄せられているか教えてください』って返ってきたんです。
それで、『見る限りでは共感が多いよ』と送ったら、彼がこんなことを言ってくるのは初めてなんですけど、
『よかった。本当にいい映像を作ってくれてありがとうございます。やっと報われる』って書いてきたんですよ。
この"報われる"というひと言は重いですね…」と、驚きとともに、胸を締め付けられるメッセージが届いたそうだ。