話を聞いた後、数秒間、私が黙っているとヒクソンが、「だけど…」と言った。

だけど、何?

そう問い返すと、かすかに笑みを浮かべて、言うべきかどうか迷っている感じで彼は話した。

「送られてきたビデオテープは、まったく参考にならない。なぜならば、すべてのファイトがフェイクだからだ」

私が何も話さないでいると、ヒクソンは静かな口調で言った。

「まあいいさ。私は相手が誰であろうと構わない。プロのファイターとして最高のコンディションをつくって相手を全力で倒す。それだけだ」

このとき私は、ヒクソンがビデオテープで高田のどの試合を見たのかを知らなかった。でも後に、その中に武藤敬司とのリマッチ
(96年1月4日、東京ドーム。高田が勝利し第18代IWGPヘビー級王者となる)が含まれていたことを知る。勿論、これは事前に勝敗が決められていたものでリアルファイトではない。

20年前、この試合を見てヒクソンは何を思ったのか。

(なんだ、リアルファイトのできない男か)

そんなふうに思ったはずはない。むしろ逆の考え方をしたのではないか。

(私を油断させるために、このようなビデオテープが送られてきたのではないか)

そう警戒感を強めたはずである。

そもそも、『PRIDE.1』は、高田がヒクソンとの対戦を望んだことから端を発したイベントである。
高田は「打倒ヒクソン」に燃えていたのだ。しかし、ヒクソンは「打倒高田」に燃えていたわけではなかった。
いや、それどころか、ビッグな舞台で闘うことができれば、相手は誰であってもよかったのである。

「考えてみてほしい。私はリオ・デ・ジャネイロで暮らしていた20代の頃、幾度となくストリートファイトを経験した。
柔術の大会では常に勝利していたし、ズールとバーリ・トゥードも闘っていたから、それなりに顔を知られていたんだ。
だから、よく喧嘩(けんか)を吹っかけられた。グレイシー家に対して敵意を持つ者も少なからずいたからね。

でも、彼らは闘う前に自分のプロフィールを提示するわけではない。どのようなバックボーンの持ち主なのか、どれくらい強いのかもわからぬままファイトは始まるんだ。
私は常に自分の力に、またグレイシー柔術のテクニックの優位性に自信を持っていたから、誰が相手でも負ける気がしなかった。そして実際に勝ち続けたんだ。

タカダとの試合も、それらと同じ気持ちで挑んだ。タカダが、どれほどの実力の持ち主なのかは関係なかった。
私は自分の実力を信じて闘ったまでだ」