違うだろうミッツ

物事は複合的な要因で起きるんだよ
誰がそれをやったか、いつやったか、どういう形でやったか…
今回の件はミッツが主張したように一般化して総括出来ることではないんだよ

「バラエティの特番で昔のキャラを引っ張ってきて、それが時勢に合わないから性的マイノリティの逆鱗に触れて猛反発を食らった」

そんなふうに見えているかもだが、そんな単純に総括できるようなことじゃない

とんねるず(特に石橋)のパワハラセクハラてんこ盛りな芸風と、それによって傍若無人に振る舞ってきた過去の姿勢を自らわざわざ蒸し返すことになった
当時なら不問にされていたのにだ

フジととんねるずがもし時流を読めるなら、冒頭にお断りのスーパーを入れるとか、石橋から一言エクスキューズを入れとけばこんな顛末にはならなかった

そこに思いを巡らせられないからフジととんねるずはここまで凋落したのであり、大衆から非難される根本原因はその傲慢さなんだよ
本当に非難されているのは表現そのものではなくその本質部分なのだ

その世間とのズレを認めようとせずに「俺達にとってはこれが普通なのだ」と開き直ってそれをやっている姿勢こそが正に傲慢なのだと何故指摘しない

普段は意識していないかもだが、テレビ局は国民から電波を利用する権利を借り受けて放送を流している
だから国民は放送される番組の内容に対して自由に文句を言える立場にある
送り手側は特権階級では決してない

「不倫は当事者同士の問題で他人がとやかく言う筋合いじゃない」

テレビタレントが同業者の不倫をこうやって擁護するのはその思い上がりの最たるものだ

社会規範を乱したりそれに反する行為をしてそれが表沙汰になれば、それは大衆から厳しく非難されて当然だ
上記の擁護や今回のミッツの弁護は、これらについてあたかも人権侵害や自由の毀損のように思わせてそれを不当にシャットアウトしようとしている

そしてその本質は、送り手側や表現する側に「大衆から非難されない特権を我々に認めろ」と主張していることに他らならないのだ

これこそ傲慢と言わず何という

ミッツの意見はあっても良い
性的マイノリティとしての個人の意見としてはだ
しかしそれをあたかも普遍的な正論のようにカモフラージュして一部の既得権益者を擁護することになるのはあってはならない事だ
そしてミッツの文章にはその意図があってもなくてもそれが表現されている
ミッツ自身が糾弾側であるという免罪符で強力にガードされた上でだ

自由な表現には責任が伴うものだ
それをフジも石橋もミッツも充分に心すべきだ
送り手側に求められているのはそれであり、それは時代がどう移り変わろうが普遍的なものなのだ