苦しむ原因も、苦しみから耐える術も偉大な親父の存在(長嶋一茂の自伝本『三流』でもほぼ同じ記述があったのは興味深い)。

三度、父親と同じユニフォームを着た野球人生

結局、99年までヤクルト在籍4年間で1軍計51試合出場、2000年には再び父が監督を務める阪神へ移籍することになる。
移籍初年度には43試合で打率.265、2本塁打と1軍の控え捕手として定着も、01年シーズン終了後に妻サッチーの脱税問題で野村監督が辞任。
明治大学の先輩でもある星野仙一新監督のチーム改革で出番を失った克則は04年に巨人へ。

移籍後1年で戦力外もトライアウトで2打席連続アーチを放ち、新球団の楽天へ。
すると、運命の皮肉か翌年には野村楽天が誕生することになる。
プロで三度、父親と同じユニフォームを着ることになった数奇な野球人生も06年限りで現役引退。

6盗塁を許した引退試合では野村監督から「11年間、よくがんばったな」と労いの言葉を贈られたという。

常に偉大な父の背中を追い続けた男のプロ野球人生は通算222試合、打率.185、4本、17打点。
引退翌年、楽天の二軍バッテリー担当育成コーチとなったシーズンに入団してきたのが、嶋基宏である。
自著ではその嶋を「コーチになって最初の教え子」と思い入れたっぷりに紹介してるが、
のちに解説者ノムさんがやたらと嶋に対して厳しいのも、その向こう側に息子・克則の姿を見ているから……というのは邪推しすぎだろうか。

最後に克則が小学校3年生の時に書いた作文を紹介して終わりにしよう。

「ぼくが大きくなったら、プロ野球せんしゅになります。巨人の王さんにまけた、お父さんのかたきをとって、王さんの記録をやぶります。ゆめホームラン900本。お父さん、ぼくに力をかしてください」