香月弘美

1958年(昭和33年)4月1日に宝塚大劇場で行われた公演に出演中、着用していた衣装ドレスの裾がせりの駆動部分に巻き込まれて死亡。
享年23(満21歳)。舞台機構が原因の上演中劇場事故による日本国内唯一の殉職者。

事故の概要

松島はトランプの国の場が終わった後、早変わりですぐ次の役に扮しなければならなかった。そのため、姿が客席から見えなくなると
すぐに体をふりほどき、相手役に「オーキニ」と言った後背を向け、セリが下がりきるのを待たず奈落に飛び降りて早変わり室に駆け込んでいた。
この日も飛び降りて三歩ぐらい走った時、「ヤメテー」という叫びがしたのと同時にバリバリという音、何かが飛び散る音がした。
驚いて振り返ると、蝋細工の人形のように無表情な香月の顔と、衣装ドレスの赤い生地がセリのシャフトにからみついて回っているのがみえた。
この間一秒程度であった。

松島の衣装の背中には、血しぶきがかかっていた。香月の衣装ドレスにはすそを広げるための幅2センチ、厚さ1ミリのスチールベルトが腰まわり、
ひざ、すその三カ所にそれぞれ直径約60センチ、70センチ、1メートルの輪になって取り付けられていた。衣装ドレスの裾がセリのシャフトに
巻き込まれたため、セリ台のワクの鉄製ベルトと舞台を支える鉄製アングルの支柱の間に足を挟まれたまま引きずり込まれ、
腰まわりのスチールベルトが香月の胴を締めつけ、身体が真っ二つに切断され即死してしまったのである(朝日新聞1958年4月2日、大阪本社版。以下同じ)。
しかし香月の切断部は衣装ドレスで覆われていたため、松島は香月が死亡したことを認識できなかった。