【野球】ロバート・ローズ「99年に153打点を記録! ハマの孤高の最強助っ人」【プロ野球世紀末ブルース】 [無断転載禁止]©2ch.net
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あなたの応援するチームの歴代最強助っ人は誰ですか?
そんな野球ファン同士の飲み会鉄板ネタ。これが阪神ファンならバースだろうし、西武ファンならデストラーデやカブレラ、巨人ファンならクロマティとか数字関係なく"心のベスト10"第1位はセペダとなる。
そして、横浜ファンならロバート・ローズの名前を挙げるファンも多いと思う。90年代に“マシンガン打線”の中核を担った驚異のクラッチヒッター。
当時の野球雑誌等を見ると、日本語も覚えようとしないプライドの高い完璧主義者という記述が目立つが、すべてはグラウンド上の結果で証明してみせるその姿勢は、ある意味プロフェッショナルの鏡と言えるだろう。
ちなみにほとんど飛行機恐怖症の自分としては、ローズが大の飛行機嫌いだったというエピソードに妙な親近感を覚えてしまう。
■ 98年の優勝にも貢献したロバート・ローズ
エンゼルスに所属していたアメリカ時代の92年、バスの事故で頭と足首に怪我をするアクシデントに見舞われ、
球団側から調整も兼ねたマイナー降格を告げられると、怒ったローズは移籍を希望。
その隙を付いてスカウティングした横浜の渉外担当、故・牛込惟浩氏は「大人になりきっていない印象もありましたが、奥さんがしっかり者だったので日本でも大丈夫」だと思ったという。
67年3月生まれのローズは当時まだ25歳。助っ人としては小柄の二塁手。
見た目も気弱そうな大学生風でたったの年俸35万ドル
今となっては信じられない話だが、同年に入団した筋肉スラッガー「グレン・ブラッグスのおまけ」とまで揶揄されての日本生活のスタートだった。
ちょうど93年に「横浜大洋ホエールズ」から「横浜ベイスターズ」へとチーム名を変更。
新しく生まれ変わったチームでローズは初年度から130試合フル出場すると、いきなり94打点で広澤克実と並び打点王を獲得。
打率.325はリーグ2位で二塁手ベストナインにも輝いた。
そこからは毎年のように打率3割、20本塁打、95打点前後の好成績を残し続け、結果的に背番号23はベイスターズの象徴として90年代のチームを牽引することになる。
98年には“マシンガン打線”の4番打者としてチーム38年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。
権藤博監督との相性も良く、ここからキャリアの絶頂期を迎える。
http://www.excite.co.jp/News/90s/20170926/E1506390268375.html
90s チョベリー 2017年9月26日 13時30分
http://image.news.livedoor.com/newsimage/8/e/8e261_1424_5ed33c15_bd88e91f-m.jpg
http://blog-imgs-82.fc2.com/d/i/n/dinosuki/rose.jpg
https://yakyu.jp.net/wp-content/uploads/2016/03/show_img-2-216x300.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20120911/11/ka-sha/7f/c1/j/o0123020012182532317.jpg
43.fc2.com/r/a/n/ranzankeikoku/20130404211937ce7.png
https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/fbatter/rose.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=ZasT83bf-6g
ローズ
https://www.youtube.com/watch?v=Nn4CHSPBrHk
ローズ ■ 大爆発した1999年
翌99年の大爆発は今でも語り草だ。横浜が史上最高のチーム打率.294(投手を除くと.303)を記録したこの年、32歳のローズは打点マシーンと化して序盤から打ちまくる。
6月8日には「いい時期に自分の判断でやめたい」と引退宣言。助っ人選手がリストラされるのを間近で見てきた経験から、プライドの高い男は退団の時期を自分でコントロールしたいと思ったという。
いわゆるひとつの最近の球界では死語になりつつある引き際の美学だ。
6月30日には広島戦で自身3度目となるサイクルヒット達成。ちなみにこの試合の横浜は1イニング12得点のチーム新記録で、20対4と爆勝している。…
7月22日のヤクルト戦では10打点の大活躍(セ・リーグタイ記録)、オールスター第2戦でも6打点を挙げMVPに輝いた。
結果的に打率.369、37本、153点、192安打、OPS.1.093という凄まじい成績で首位打者と打点王を獲得。
135試合制の当時、192安打は50年の阪神・藤村富美男を抜くセ記録、打率.369はロッテ時代の落合博満が記録した.367を抜く右打者歴代1位。
それらはのちに更新されたが、153打点はいまだに外国人選手の最多打点記録として破られていない。
ローズは引退を公表したのち、ホームランを打つと「今日が最後かもしれないから」と通訳に頼んで、バットのグリップに日付と相手投手の名を書かせて違うバットを使うことを繰り返したが、
キャリアハイの37発を記録したため、結果的に多くのバットが手元に溜まってしまったという逸話が残っている。
■ 33歳で引退、そして復活?
最後はもう一度優勝を……と現役続行した2000年もリーグ最多の168安打、同2位の打率.332をマークしながら、惜しまれつつも33歳の若さで引退。
ほとんど誰にも期待されずに日本へやって来た無名の選手は、年俸3億円越えのジャパニーズドリームを実現させ、
2000打数以上の通算打率.325はバース(阪神)に次いで歴代外国人選手2位、通算安打1275安打は9位、808打点は8位という堂々たる成績を残した。
ちなみに外国人選手の通算打率ランキングには3位クロマティ.321、4位レロン・リー.320、5位ブーマー.317と80年代の伝説的スラッガーたちの名前が並んでいる
まさにローズはメジャーの球団拡張で来日選手のレベルが落ちたと囁かれた時代に意地を見せた、90年代セ界最強助っ人と言えるだろう。
02年オフにロッテと契約して春季キャンプ参加するも、2月19日に「野球への情熱がなくなった」と突然退団。
最後まで孤高の男を貫いたが、2012年の横浜スタジアム試合前セレモニーとしてDeNAのユニフォームを着た佐々木主浩vsローズの夢の対戦が実現。
相手チーム中日の権藤投手コーチ、捕手を務めた谷繁元信と98年日本一の立役者が集結する。
そこには現役時代とはまた違う、柔らかい笑みを浮かべたローズの姿があった。 インスタグラムのフォロワー数(9月27日現在)
スポーツ選手トップ10
1.1億 C・ロナウド(サッカー)
8,198万 ネイマール(サッカー)
8,067万 メッシ(サッカー)
4,021万 ベッカム(サッカー)
3,319万 ロドリゲス(サッカー)
3,284万 ジェームズ(バスケ)
3,132万 ベイル(サッカー)
2,791万 イブラヒモビッチ(サッカー)
2,646万 ロナウジーニョ(サッカー)
2,467万 スアレス(サッカー)
各スポーツ最多選手
1.1億 C・ロナウド(サッカー)
3,284万 ジェームズ(バスケ)
2,039万 マグレガー(総合格闘技)
1,905万 メイウェザー(ボクシング)
1,578万 コーリ(クリケット)
899万 ベッカム(アメフト)
772万 ボルト(陸上競技)
673万 ウィリアムズ(テニス)
494万 ハミルトン(モータースポーツ)
350万 バイルズ(体操)
336万 フェルプス(水泳)
143万 オルティーズ(野球)
140万 マキロイ(ゴルフ)
92万 レゼンデ(バレー)
91万 オベチキン(アイスホッケー)
91万 サガン(自転車競技)
80万 カーター(ラグビー)
59万 ナフカ(フィギュアスケート)
30万 シルバ(柔道) .279で147打点の今岡>>>>>>.369で153打点のローズ プロ野球世紀末ブルース
何このクソダサいネーミングw
昭和だなぁ野球は 田中みな実アナの「肘ブラ」過激すぎてNGになったカットが山盛り※写真あり
http://wadai44.net/2017/09/26/a5664/ 石井
波留
鈴木
ローズ
駒田
佐伯
進藤
谷繁
投手 寅さんが周りに自慢げに話す。
"俺の妹、サクラの職業知ってるか?
キーパンチャーだぜぇ"。
by ピ〜と・ローズ 石井波瑠鈴木が出塁しまくって
ローズが返しまくる
後ろの駒田も打つから勝負してもらえたし
とにかく凄かった ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ、星乃珈琲はドトールグループだ
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
当時のドトールコーヒー社長 17年4月左遷サンメリー社長へ
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
こうめいとうは、かるとしゅうきょう
そうかがっかい
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から)
転載可 昔見に行った試合で松井とこいつがHRで一対一で引き分けだったかの試合で
こいちが原チャで帰ってくのをみて
ジャイアンツファンな俺も敵ながらあっぱれだこの野郎って背中に言ったら原チャから手をふってくれたなww
回りも笑ってた
懐かしいなローズ ブラッグスとローズ、パチョレックとポンセ。横浜は優良外国人揃える手腕凄いわ。 ビックバン打線対マシンガン打線
で盛り上がると思ったんだけどなw >>27
お前はマストニーコピペ見てもそれが言えるのか? 99年除いて成績見るとホームランも多く無いし実はそこまで大した事無いんだけど
当時見てると異常なまでにはヒットや打点が期待できる選手だったな 90年代最高の外人はローズで確定でいいの?
優勝に多大な貢献したという点も含めて
その他にはパウエルやハウエルやウインタースやオマリーとかもいたけど 当時オールスターでバット見せてもらったり交換した選手達が「とても軽いバット使ってて驚いた」ってなコメントしてたのが印象に残ってる 当時なにげなくニュース見てたらキャスターが
「横浜のローズ選手はこの試合で10打点を記録しオールスター前に打点を100の大台に乗せました」
って言ってて一瞬耳を疑った 延長が15回までだった時に最後サヨナラヒットだったか打った時は泣いたな
勝ち投手になったのは関口だっけ
色々記憶が混ざってるかも知れんが >>27
その間に居たラリー・シーツが一番良いバッターだった。 とある広島戦でその日ローズ絶好調でドッカンドッカン飛ばしてたんだけど
最終打席でタイムが認められずそのまま大野が放った球がストライクで三振になったのが忘れられない 落合が真の4番と認めた男
98年当時もまだ落合は松井の事を真の4番とは認めていなかった >>17
この1から3番が出てローズがほとんど返すの無敵打線だったな 【高校野球 選手権+センバツ 通算成績】
横浜高校 56勝27敗
東海相模 38勝15敗
横浜商業 25勝16敗
法政第二 19勝09敗
慶應義塾 18勝16敗
桐蔭学園 16勝10敗
(参考)
中京大中京 133勝47敗
龍谷大平安 99勝69敗
PL学園 96勝30敗
天理 75勝48敗
広陵 71勝42敗
早実 66勝48敗
大阪桐蔭 52勝12敗
帝京 51勝23敗
日大三 49勝32敗
常総学院 41勝23敗
銚子商業 39勝19敗
作新学院 37勝20敗
浦和学院 30勝21敗
東海大甲府 28勝18敗
桐生 28勝26敗 マイナー降格に怒って・・・とか書いてるけど、実際メジャーでは通用してなかったからな。
成績見たら一目瞭然だが。
まー、マイナーレベルの打者が無双できるのがNPBの現実レベル。
ダルも言ってただろ。日本に行ってるのは2Aかせいぜい3Aレベルだと。
NPBは2.5Aレベルだよ。 ひでえ文章だなと思ったら、数週間前、松永‐野田のトレードが今世紀1の
謎のトレードとか書いて突っ込み入れられていた変な奴の文章だ >>47
元々守備目当てですもの
ちょっと一塁投げるときテイクバック大きいですけど ロッテでの背番号は4
ちなみに阪神の江川卓の背番号は3 >>47
石井との二遊間、駒田の捕球は鉄壁だったな。 セカンドでこの成績の助っ人本当に素晴らしい
今考えると当時はベイスターズの他の野手陣も凄い選手だらけだったのに一度しか優勝出来なかったんだよな >>51
投手陣の世代交代が大失敗
役に立たん新人だらけで駒足りず、僅かな当たり投手を中継ぎで磨り潰すってのが長い事続き、チーム防御率最下位独走が続く暗黒入りした 阪神戦で大量リードしてて相手投手がアップアップになってるから、わざと見逃し三振して終わらせようとしたら手元が狂ってデッドボール、てのも覚えてるな
何とも言えない表情だった 左の大砲ケビン・ウィットも思い出してあげて(´;ω;`) 一発は多くなかったがチャンスにめっぽう強かったな
勝負所ではいつもセンター方面に強い打球を弾き返していた >>51
マシンガン打線は強力だったが勝利のカギは
いかに勝ち越して9回佐々木に繋げるか
だったからな
佐々木がメジャー行ったら勝負に弱くなった 98年の優勝は85年の阪神と共に強烈に印象に残ってる、今年広島が甲子園で胴上げしたがこの年も甲子園だった。投手佐々木最後の打者新庄の「やっぱおれ?」みたいな顔は忘れられない。
この年は横浜に勝った記憶がない、横浜球場で三試合連続二桁失点の三連敗とか、石井、鈴木に走られまくりローズが打つと止まらなくなった。
権藤さんがスマートでマウンドに小走りに行く姿はカッコ良かったなぁ。 日本で3割切ったのが一年だけの安定した成績で
勝負所に強く、セカンドも守れる
本当に優秀なプレイヤーだった セカンドだからなあ
貢献度で言えばバレンティンやカブレラより上かもな >>1
入団経緯知らなかった。
日本来なくてもメジャーでもレギュラーになる選手になっただろうな。 打撃は凄いし守備も上手かった
横浜はローズ以来セカンドが決まらないな
柴田が3割打てるようになれば 西武ファンだけど、’98の日シリは知らん間にヒ―ルにされててワロタ
日本中が横浜がんばれという雰囲気だった >>66
俺も西武ファンだが、昔の西武は強すぎていつでもヒールだったじゃないか。なお現在 横浜だけで終わっとけば最強助っ人と言われてもおかしくなかったんだけど
ロッテがな・・・ 助っ人連れてくるの上手いと思う球団は中日、ヤクルト、ベイスかな
阪神はグリーンウェルの失敗あって、1番ヘタなイメージ ローズの二塁守備はレギュラークラスの中では史上最低レベルやろ ロバート・ホワイティング「イチロー君、大リーグは甘くないぞ」
イチローがメジャーで活躍できるならば、なぜ横浜のローズに対し、メジャーの球団は
オファーを出さないのだろうか?二塁手といえばメジャーでも引っ張りだこじゃないか?
ローズはイチローよりもずっとパワフルだし、しかもパリーグよりプレッシャーが
強いセリーグで成績を残している。
イチローのあの細い体でメジャーで1年間レギュラーとして戦い抜くスタミナがあるのだろうか。
メジャーで試合に使ってもらえればの話だが…
パワーのないイチローは体重をあと20キロ増やしてHRバッターになるか、打力が必要とされない
ショートやセカンドにコンバートすることをお勧めする。
1番バッターに転向する手もあるが盗塁の技術をマスターするのは難しい。
だから読者もイチローがメジャーのオールスターに選ばれるなんて大それたことを考えないことだ
来年の今頃、イチローは「あ〜アメリカなんて来なければ良かったよ日本に残っていれば良かった」
と後悔しているかも知れない。 まさに「マシンガン打線」の象徴。決してホームラン連発じゃなく、一本出ると継ながる事継ながる事、おまけに走るから手がつけられなかった。
「そこまで打たんでも、武士の情けはないんか、選手がかわいそうやないか」と思ったな。
たまに接戦になると佐々木が出て来よる、ホントに印象的だったなぁ。 当時ヤクルトの古田が
「セリーグ1打者」と言ってたなあ >>23
打点稼ぐには良い環境だね
石井、ハルと足も期待できたし >>63
それは甘い
メジャーはダメで日本で大記録残した選手いくらでもいる >>47
守備範囲は狭いし、かなり下手な部類だぞ
とにかく打球を追わないからアウトが取れない そうそう、はじめすげえ細かったけど
いつの間にかアメフト選手みたいな体格になってたんだよな >>84
外人の内野はバックハンドキャッチとかスナップスローとかいかにも軽快で上手く見えても、
記録を見るとあまりアウトを取っていないとかね。 西武ファンはみんなから好かれてると思ってる奴多そう あのまま去ってれば伝説の男になれたのにまた横浜に戻ってダメ人間になっちゃったな 99年だとまだ年間試合数が130試合だろうからそれを考えるとさらにすごい こすったような打球が
ハマスタの右中間上段に突き刺さったのが忘れられん
意外と押っ付けてたんだな >>88
マルカーノみたいにアウト取りまくりもおるがな ランナーいると殆ど右中間にツーベース打ってたイメージ >>17投手陣も
先発:斎藤、野村、三浦 + 戸叶、河村
中継:島田、横山、五十嵐 + 阿波野、川原、福森
抑え:佐々木
完璧な頃やな 横浜在籍8年間で、毎年打率より得点圏打率が高かった
得点圏打率(カッコ内はその年のシーズン打率)
'93 .372 (.325)
'94 .323 (.296)
'95 .339 (.315)
'96 .367 (.304)
'97 .349 (.328)
'98 .337 (.325)
'99 .394 (.369)
'00 .354 (.332)
ここまで圧倒的なレベルで勝負強い打者は見たことがない >>32
デストラーデだろ
90年91年92年本塁打王チームは三年連続日本一 佐々木が、ローズは打てなかったら裏で暴れるからブラッグスより怖かったって言ってたな。 >>105
しなっちも一度書いたら「俺はあんな年中酒飲んでそうな顔じゃねえ!目の前連れて来い!」と言ってたって
通訳から聞かされてガクブルったってササ願に書いてたな >>98
あぁ、確か三浦がルーキーの時だ、あの頃から彼にはやられてたわ。
ある試合で斎藤が完封ペースで最後佐々木に代えた。権藤さん「佐々木にはいつも世話になってるんだから、たまには恩返ししなきゃダメでしょ」
いや、それは?と敵軍ながら思った、翌年からの不調の予兆はあったんだろ、しかしあの年の横浜のキラメキは素晴らしかった。
85年阪神、98年横浜。社会現象だったね。 俺は「モウ、イポン!(グシャァ
のホーナーだと思うな 初めてベイと契約した時3000万の契約書を抱いて眠ったんだっけ?確かノムさんがローズのそんなエピソードを語ってたような記憶がある。 >>109
何でノムさんが他球団の外人のエピソード知ってんだよw ロッテ入団さえなければ非の打ち所のない助っ人だったのにな >>40
そもそも松井はその頃ほとんど3番だったのだが 大洋でセカンドに入る外国人は活躍した印象がある
シピン、ミヤーン、ローズ、マルカーノ等 そうなんや
巨人にもおったような気がするねんけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています