プロ野球・ヤクルト、米大リーグ・レイズなどで活躍したルートインBCリーグ・福島ホープスの岩村明憲選手兼任監督(38)が10日、福島・郡山市の
ヨーク開成山スタジアムでの武蔵戦に「1番・DH」で出場し、21年間の現役生活にピリオドを打つ引退試合に臨んだ。

 元メジャーリーガーの最終試合に球団創設以来最多となる3607人の観客が詰めかけた。熱い声援のなか、注目の第1打席はニゴロ。第2打席は同点の
1死満塁でニゴロ併殺打に倒れたが、1点ビハインドの5回無死一、二塁の第3打席では、華麗に流し打つ左前打。好機を広げ、後続の逆転打を引き出した。
最後は再び同点で迎えた7回、先頭で打席に入り中前打。犠打で二塁に進んだところで自らに代走を出して交代。スタンディングオベーションのなかベンチに退き、
数々のドラマを生み出したトレードマークの赤バットを、置いた。

 試合後のセレモニーでマイクの前に立った岩村は
「この小さな体でよく21年間できたと思う。本当に感謝という言葉しか見つからない。みんなにありがとうと伝えたい」とスピーチ。オーロラビジョンには、
ヤクルト時代のチームメイトだった石川や楽天・嶋、DeNA・ラミレス監督、マリナーズ・岩隈、レイズ時代の指揮官であるカブス・マドン監督らからの
メッセージが映し出され、親交のある歌手・長渕剛からの花束も寄せられた。

 モデルでも活躍する美咲夫人(39)と2人の子供も姿を見せ、最後の勇姿を目に焼き付けた。ヤクルト時代の打撃コーチだった八重樫幸雄氏、座右の銘でもある
“苦しいときこそ人生の礎となる”意味の言葉「何苦楚(なにくそ)」を授けた打撃の師、中西太氏も駆けつけ、ユニホームを脱ぐ愛弟子を見守った。最後は
球場内を一周し、マウンド付近で選手らから胴上げされた岩村は涙をぬぐいながら「日本、米国で培った多くの経験を、福島のために、日本のために、
自分のできることは全部やっていきたい。自分から野球をとることはできない。こんな野球バカを支えてくれてありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 試合は引き分けに終わり、前期3位、後期2位となり、3年連続プレーオフ進出を決めた。今後は監督に専念し、チームを15年後期以来の優勝に導くために
タクトをふるう。

 ◆岩村明憲(いわむら・あきのり)1979年2月9日、愛媛県生まれ。38歳。宇和島東高から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、
ゴールデン・グラブ賞6度受賞。07年に入札制度でデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、
15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。同年後期シーズンに地区優勝。同年11月からは球団代表も兼務。NPB通算13年間で1194試合、
打率2割9分、193本塁打、615打点。メジャー通算4年間で408試合、打率2割6分7厘、16本塁打、117打点。175センチ、92キロ。
右投左打。

スポーツ報知
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