【野球】高木豊に屋鋪要 山崎 市川 大門 松本……横浜ベイスターズの解雇劇を振り返る [無断転載禁止]©2ch.net
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プロの世界では、実力がない者はすぐ脱落してしまう。
プロ野球界でも毎年、多くの選手が戦力外通告を受けているが、その中でも1993年に行われた横浜ベイスターズの解雇劇は大きな話題となった。
■ 球団の顔を一斉に解雇した横浜ベイスターズ
1993年に横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに球団名を変えて心機一転を図るも結果は5位。
その年のオフ、11月8日に6名の選手が球団に呼び出された。
その選手たちの顔ぶれを見ると、過去8度打率3割をマークしたことがある高木豊、盗塁王を獲った屋鋪要、「こけしバット」でお馴染みだった山崎賢一、
ローテーション投手の一人である大門和彦、主戦捕手としてホームベースを守ってきた市川和彦、中継ぎ投手の松本豊である。
横浜ベイスターズはチームの中心選手でもあった高木豊や屋敷らを含む6選手に突如戦力外通告を行ったのだ。
突然、解雇通告をされた選手は茫然自失。高木豊は「いきなり呼ばれてクビと言われても……。
冷たい?もういいよ。言ってもしょうがない」と言い、屋敷は「ゴミをゴミ箱に捨てるように」と発言した。
■ 解雇された選手のその後
横浜を解雇された選手に対して、各球団はさっそく獲得に名乗りを上げている。
屋敷に対しては、巨人の監督だった長嶋茂雄が「あれだけの守備範囲があって、走れる選手はウチには少ない」と惚れ込み、解雇から僅か1週間で巨人入りが決まった。
高木豊は中日が獲得を検討していたが、直前になって回避したことで日本ハム入りに。
大門、山崎の両選手も他球団が獲得している。
■ 大量解雇は駒田徳広を獲得するためだった?
ところで、なぜ横浜ベイスターズは主力選手を含む、多くの選手たちを一度に解雇したのだろう。
実はこの時期、巨人に所属していた駒田徳広がFA宣言すると見られており、駒田獲得の資金を捻出するための解雇劇だったのではと推測された。
解雇された6人の推定年俸を合わせると合計で約2億4000万円、引退した斉藤明夫などの年俸を合わせると合計で約3億8000万円となり、
駒田獲得に必要な資金とほぼ同額であったことも信憑性を与える結果となった。
結局、この年のオフにFA宣言をした駒田を獲得した横浜ベイスターズ。
数年後の1998年、この時獲得した駒田らが主力となって38年ぶりの日本一を達成した事実を踏まえると、強引なまでの解雇劇が優勝の遠因となったともいえるだろう。
http://www.excite.co.jp/News/90s/20160521/E1463021485535.html
90s チョベリー
http://sharp78.com/ownersleague/card/01M79_1.jpg
http://sp.baystars.co.jp/news/2015/img/150421_03_01.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20150413/21/r2dcyo1/8d/39/j/t02200313_0692098413275338215.jpg
http://minami-syoji.up.n.seesaa.net/minami-syoji/image/daimon1.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20150614/21/r2dcyo1/f7/3b/j/t02200315_0684098013337268051.jpg
https://pbs.twimg.com/media/CYL37JLUsAAdkIx.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=SaNLIZycbck
1988 大門和彦
https://www.youtube.com/watch?v=Cukh2EAcpeo
屋鋪
https://www.youtube.com/watch?v=7n9I0msWd3c
高木豊 このなかに中山に対して精神的に追い込む陰湿ないじめをした奴がいる。
解雇もこれが原因という噂が。 大洋といえばボイヤーだな
その後シピンが入ってきた これ当時は衝撃だったけど今見るとまあ妥当に思えるな
そもそもここまでベテランを溜め込み過ぎたのが良くなかった 解雇されてから誰も活躍できないで消えたな
見る目は会ったんだな いい選手ばかりだったけど
あのメンバーじゃ上位行けないと思ったのは
わからなくはない
苦渋の決断だったろうな 駒田は結果的に獲って大正解だったな
巨人時代の雑な打撃もたまに出て試合で貢献するのもあったけど普段の小さい当てるに特化した打撃がかなり良かったね。本来こっちの選手なんだろう駒田は 出塁した高木豊が屋鋪要がヒットを打っても「コイツの
打点になる」とわざと三塁で止まるとか大洋はそんな
チームだったんだよ
だから大量解雇はチームの膿を出すのが目的であり
年俸削減は二次的な要因だよ いま見たら駒田の当時の成績って
よくて3割弱で6〜20本くらいか
もっと打ってたのかと思ってた >>16
斎藤隆をホモセクハラで追い込んだ犯人も
高木豊と屋鋪要 >>24
だから駒田の評価は「もったいない」
400本塁打打てるだけの能力はあったのに >>26
高木豊と屋鋪要の対立でホエールズ末期は
チームがグチャグチャだった
その解雇にこけしバット山崎らが巻き込まれた
格好になったんであることないこと言われたけど >>27
チャンスに強かったから思い出補正かな
中田翔みたいな 高木豊って毎回契約更改で揉めてなかったか
調停までやってたよな
だからクビになったと思ってた 本当は屋敷、高木解雇は
この年にフリーエージェント資格があり
報酬アップに期待して交渉したが費用対効果がわるく
駒田獲得もあり解雇される
生え抜きだから解雇なんてないとタカくくっていたが
球団強気で解雇にいたる
球団にも契約の自由がある グリーングリーン=高橋雅
鎌田行進曲=加藤
大脱走=パチョレック
フランス国家=???
高木(豊) 高木(?) >>32
正直一塁手としては物足りない成績
調べてみたら駒田は横浜移籍初年度で32歳
意外と歳いってたのね
ちなみに高木豊は4歳上で屋鋪要は3歳上 チームを長年支えてきた功労者でも一切容赦せずに簡単に切り捨てるここは 巨人駒田の方は最後ほんとやる気なかったな
出てくのが当たり前みたいな無気力だった >>29
1994年の日本シリーズで槙原の完封を決めたのは
守備固めで入った屋敷のスーパーキャッチだった
その前にやらかした気もするけど… >>33
それはあるね
ホエールズ最終年はどうでもいい場面での固め打ちで
三割に乗せて年俸調停だったんでさすがにおかしいと
思った 高木豊は日ハムに移籍してレフト守ったけど
シングルヒットで二塁まで行かれる有り様だったな >>48
パチョレックは1991年オフ
そして阪神で嫌というほど復讐される 大洋とヤクルトはいろんな意味で楽しいチームだったよな >>30
それだけの理由ならとっくに解雇されている
累積したハラスメントをフロントもさすがに無視できなくなり、ほかに色々な理由をつけられるタイミングで切ったと思われる >>54
ベイスターズ元年はサードにコンバートされたけど
弱肩でエラーばっかするんでファーストに回された
くらいだからね 移籍した屋敷の最初の仕事は慣れ親しんだ横浜スタジアムでの守備固め
所が雨で目測を…んで落球
あの屋敷が?ってみんなが驚いた、しかも去年までのホームで
負けた巨人の長嶋監督は試合後
「(横スタで)屋敷が捕れないんじゃ誰も捕れませんよ」
と言って庇った
屋敷はこれをずっと覚えてたんだと思う >>40
高木豊の曲は谷山浩子オールナイトニッポンのリスナーからのハガキで
「ジャングルでチータが藪の中から顔を出したり引っ込めたりしてるような曲」
と解説されていた 駒田が横浜移った逸話でかなり有名な話だけど、横浜の選手の打撃練習ってテントの釘打ちみたく上からバットで叩きつけて打てって延々教え込んでたらしいね
外人選手は特例でアッパースイングしようがバット放り投げて打とうが何でもありで他は叩きつけだけしかだめみたいの
あまりにも馬鹿なやりとりがされてたから駒田が選手達に面で打ったりアッパーで打ったりしろと教え込んだらしいからね 古葉監督の時にようやくサードのレギュラーをつかんだドラ1の銚子が
須藤監督に代わったら清水が起用されて広島にトレードされてたな
その清水も西武にトレードされてた 槙原の完全試合を福岡ドームで観てたが屋鋪も出てた
打球が落合や長嶋一茂に飛ばずにセンターに飛んでくれと全力で祈ってた思い出があるわ こういう選手が個性的だった時代が
野球が華だった時代なんだろうなぁ 1994年 日本シリーズ第2戦 一点リードの九回表 屋敷のスーパーキャッチで勝利
https://youtu.be/vt8gvuNlKaE >>65
須藤豊の和製大砲コレクションで長内孝をカープから
獲得したけどさすがに年齢がなあ 屋敷、加藤、高木、田代、山下、ポンセ、市川、山崎、清水、、横谷
大門、松本、欠端、と物凄い選手ばかりいたな、
当時の選手の質では、12球団一だった。
特に大門、欠端の2大ローテンションが投げてきたときは、相手からしたら
負けを覚悟したよ。
大門の140キロ台のストレートと遠藤以上のフォーク、欠端の重いストレートに
落差のあるフォークは、今の強打者でも驚くだろうな。
大門も欠端も、だいたい7勝14敗位の投手だったが、他チームなら9勝12敗位の
成績は残せたと思う。 >>12
たかぎとようち、のしげ、かわそう
全く知らないとそう読んじゃうのかな >>67
98年の優勝した頃の方が個性豊かだったな >>61
田代が衰えてから大洋(横浜)に日本人大砲がなかなか出てこなかった理由が
ようやく分かった >>66
当時一番危なっかしいのライトじゃないの?w
結局試合では守備機会無かったけど 1998って
たくろー
ハル
たこのり
ローズ
こまだ
?
しんどー
楽しげ
リーゼント
こんな感じだったかな >>75
そう?どういう個性?
個人としての存在は佐々木ぐらいしか浮かんでこないけど
ローズや鈴木もいたけど特徴あんまり覚えていない 尚、翌年は61勝69敗、
借金8首位とのゲーム差9.0で最下位という、
なんだか訳の分からん成績に。 >>79
6 中根or佐伯(メカゴジラw)
守備が鉄壁すぎるチームでした
鈴木ぐらいしか穴がない 大洋で怖いのはレオンだけだった
あとはたいしたことなかった >>79
本拠地、横浜スタジアムで迎えた中日戦
先発三浦が大量失点、打線も勢いを見せず惨敗だった
スタジアムに響くファンのため息、どこからか聞こえる「今年は100敗だな」の声
無言で帰り始める選手達の中、昨年の首位打者内川は独りベンチで泣いていた
WBCで手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるチームメイト・・・
それを今の横浜で得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「どうすりゃいいんだ・・・」内川は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、内川ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいベンチの感覚が現実に引き戻した
「やれやれ、帰ってトレーニングをしなくちゃな」内川は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、内川はふと気付いた
「あれ・・・?お客さんがいる・・・?」
ベンチから飛び出した内川が目にしたのは、外野席まで埋めつくさんばかりの観客だった
千切れそうなほどに旗が振られ、地鳴りのようにベイスターズの応援歌が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする内川の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「セイイチ、守備練習だ、早く行くぞ」声の方に振り返った内川は目を疑った
「す・・・鈴木さん?」 「なんだアゴ、居眠りでもしてたのか?」
「こ・・・駒田コーチ?」 「なんだ内川、かってに駒田さんを引退させやがって」
「石井さん・・・」 内川は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた
1番:石井琢 2番:波留 3番:鈴木尚 4番:ローズ 5番:駒田 6番:内川 7番:進藤 8番:谷繁 9番:斎藤隆
暫時、唖然としていた内川だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる・・・勝てるんだ!」
中根からグラブを受け取り、グラウンドへ全力疾走する内川、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・
翌日、ベンチで冷たくなっている内川が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った >>81
俊足好打でアイドルを食いまくる石井琢郎
安定した守備と巨人戦で打つ進藤
黒人マッチョで見た目通り当たればすごいブラッグス
甘いマスクに鍛えられた下半身の斉藤隆
速球は無くても抑えられる頭脳派川村丈夫
他にもたくさんいるけど、単純に高木豊の頃はメディアへの露出が少ないという問題もある ずっと優勝できなかったんだから
何か問題あったんだろ 日ハムに移った高木豊を
大沢親分は腐ったみかん呼ばわりしてたから
ああ察し、だと いろいろあったんだろうが
この年に大洋ファン辞めたな
やきうにもいっさい興味がなくなった
親父、祖父も大洋ファンだったが同じ反応だった
球団名も変更、顔的手を多数追い出し
これでどうやって応援せいと・・・
Wの帽子以外愛着なかったな・・・
俺しかかぶってるやついなかったし・・・ 98年あたりは野球が一番面白かった時期かもしれない
パワプロもこのあたりが絶頂期だったと思うぞ >主戦捕手としてホームベースを守ってきた市川和彦
あの達川に勝るとも劣らないと言われた詐欺師市川w
>>66
最後のアウトを捕ったのが落合で
真っ先に抱きついたのが一茂だったな こけしが4番か 相手も馬鹿にする所か逆に馬鹿にされた気分だな 大野雄と平塚はいい打者だった。
宮崎を育てたラミレスみたいな優れた監督なら、大野、平塚は育っただろうな。
平塚も大野も30本塁打を打てる選手だった。
大野の店に行ったが、味は普通だったわ。
サインはもらったが、引っ越しの時に捨てた。 高木豊内 野手ってネタコサキンでやってたの思い出した 豊がサッカーに傾倒するようになったのはこの件があったからなのかね >>94
ドラファンだが、Wの帽子には一目置いてるぜ >>44
中畑がおったから若い頃にチャンスが少なかった 高木もそうだが屋敷なんかもう衰えてレギュラーでもなかったし
でも同じくだり坂の駒田を大金出してトってなに考えるんだろうと思った
結果的にしょぼい成績ながらその後数年130試合でてた駒田とってよかったのかもしれんが(成績の数字はかなりしょぼいが) 屋敷は高田文夫センセーの弟子として「立川藤塁」という芸名をもらっている。
つまり屋敷は談志の孫弟子 高木って確かドラマ出てて、のんびりで優しい旦那さんの役だったけど、実際は全然違ったんだ。たどたどしい演技だと思ったけど、うまかったんだなあ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています