【野球】松永浩美と野田浩司「90年代最大の謎トレード」とは?【プロ野球世紀末ブルース】 [無断転載禁止]©2ch.net
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24歳の若きエースが、ある日突然放出される。
もしも2017年の今、そんなクレイジーすぎるトレードがあったら、たちまちSNSは大炎上だろう。
90年代最大の謎トレードとは?
プロ野球界にまだFA移籍もメジャー挑戦も存在しなかった頃、ストーブリーグの話題の中心は「大型トレード」だった。
92年オフ、FA制度誕生前年に成立した阪神タイガース野田浩司とオリックス松永浩美の1対1の電撃移籍劇が、今回取り上げる90年代最大の謎トレードである。
野田は87年ドラフト1位で阪神入団以来、暗黒時代のチームを支え続け、5年間で先発とリリーフで計180試合に投げまくり35勝52敗。
入団3年目の90年に初の二桁勝利、91年は初の開幕投手、92年も7月月間MVPを獲得、26試合で8勝9敗、防御率2.98、7完投と久々の優勝争いに貢献したタフネス右腕。
そんな順調な成長を続ける元ドラ1エースが、打線強化の名目でなんと24歳の若さで放出されたわけだ。
対する交換相手の松永浩美は、1試合左右両打席本塁打を通算6度も記録している球史に残るスイッチヒッター……なんだけど当時32歳のベテラン内野手。
阪急時代の看板選手もすでにピークは過ぎ、さらに土井正三監督やフロントとの確執もあり、92年成績は打率.298、3本、39打点という平凡な成績に終わっていた。
仲田幸司の代わりだった野田浩司
おいおいマジかよ……。12月の終わり頃、トレードの第一報を聞かされた時、野田は「絶対に断ろうと思った」という。
なんでやねん、会社のために投げまくった結果がこれかよと。たぶん俺でもそう思う。
当初、オリックス側は交換相手に92年14勝を挙げ大車輪の活躍を見せたサウスポー仲田幸司(当時28歳)を希望。
だが、ようやく一本立ちした左腕エースを出せるはずもなく、代わりに移籍することになったのが野田だった。
結果的にこの選択で阪神は地獄をみることになる。
仲田の乱調、松永の怪我…地獄を味わった阪神
チームに残った仲田は翌年から絶不調に陥り、93年は3勝12敗の大乱調。
そして「優勝請負人」として阪神にやって来た松永は、開幕の中日戦で5打数5安打と絶好のスタートを切るも、
4月13日のヤクルト戦でクロスプレーの際に捕手とぶつかり、左大腿部二頭筋部分断裂で登録抹消されてしまう。
しかし、のちに松永本人は「本音を言おうか。あの年、俺はできたんだよ。試合に出られた。でも、ストップがかかったんだよ」と悔しそうに回想。
俺は全然やれるという中心選手を制止するコーチ。
さすがにそのヌルい環境でモチベーションを保てというのは酷だろう。
シーズン途中に背番号「2」から「02」へ変更して心機一転をはかり、夏場には3試合連続先頭打者アーチで意地を見せたものの、
80試合で打率.294、8本、31打点の不本意な成績で、チームもBクラスでフィニッシュ。すると松永はこの年から導入されたFA制度を行使し、わずか1年で地元九州のダイエーホークスへと去って行く。…
http://www.excite.co.jp/News/90s/20170215/E1487148471251.html
https://www.youtube.com/watch?v=0azL7G6Ws0E
阪神 松永
https://www.youtube.com/watch?v=H9FJiu5vEAo
【MIDI 応援歌】高橋慶彦・松永浩美・平塚克洋・平下晃司 阪神タイガース
https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/batter/matsunaga_hiromi.html
松永成績
https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/pitcher/noda_kouji.html
野田 成績
http://toratigers.com/wp-content/uploads/2013/08/02%E6%9D%BE%E6%B0%B8-%E9%98%AA%E7%A5%9E-219x300.jpg
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/images/20110518/bbl1105181543003-p2.jpg >>114
中村さんはもう鬼籍に入ったよ 中村さんは監督・チーム編成では
無能だけど、営業では野球関係者の中でもトップクラスのビジネスマン
現在の中日ドラゴンズみたいな球団には絶対的に必要な存在 中村さんは、その後オリックスにお世話になってるよね
良いトレードしてくれた見返りなんやろな(´・ω・`) オリックスなら谷が巨人と理不尽なトレードになってたな >>118
翌年以降野田があそこまで活躍すると予想してた人は皆無だったな
ただこのトレードを手放しで喜んだ記憶は無いな
■松永を獲得する事で一塁・パッキーを外野へ(大洋時代守ってたが)配置転換
■当時は左腕の先発投手が多く、右腕は野田以外は中込・葛西程度しかいなかった
■松永と野田の年齢差
これくらいの不安はあったなぁ 一時代を築いた野田が飲食店経営かよ
コーチのオファーとかないんか 90年代阪神はドラフトでもどこも1位で行かないような選手に行ったり暗黒になるべくしてなってた 松永は一時金銭に苦心してマスターズリーグの3ヶ月間、月50万で何とか凌いでた。 >>121
イチロー
ただメジャーへ行く前は土井に相談してたり、
当時(檻の黄金時代)ほど尖ってはなかったようだw ダイエーからSBに身売りする時の、小久保の巨人トレード
これ以上の茶番トレードは見当たらんと思うけどな、 >>108
松永の後釜が小川博文というのはガッカリが過ぎる
けど当時は石嶺和彦と藤井康雄が健在で高橋智が
売り出し中だったから松永を切っても大丈夫という
判断だったんだろうね >>138
代理人と一緒にポスティングでメジャーって毎年のように騒いだから
じゃーオリックスにトレード >>77
イチロー土井・仰木ネタでサラリーマン相手に「若い人をうまく使った例と失敗した例」みたいな本かいて儲けたスポーツライターと、
それを真に受けた中途半端な野球好き(2ちゃんにもたくさんいる)のお陰 >>106
オープン戦二日分の利益なんて数百万だろ。 >>71
門田さんは子供の教育問題で家族全員又は単身での福岡行きを拒否しました。
当時のグリーンスタジアムでプレーしましたし球場へは奈良県(だったと思います。)から電車を乗り継いで球場へ通ってたと聞きました。
子供が大きくなり手が掛からなくなり最後は古巣で終わりたいと福岡へ移籍しました。
ノムさんからは南海の三悪人の内の一人として挙げらましたが、王さんからのアドバイスにも耳を傾けない頑固な人でしたが、とても子煩悩な方とお聞きしました。大病なされましたがお元気でしたら又、朴訥な解説をお聞きしたいものです。 >>142
その外国人枠が撤廃されるという話もあったんじゃなかったけ?
それを見越して阪神が獲得したら枠がそのままで即起用できなかった >>143
そうでしたか、ご冥福をお祈りします
監督でなく営業面で最強とか、人員配置が難しい
GM業が最強のワシみたいな感じ イチローは当時 2年目だかに2軍で鈴木とかいうのがダントツ打率1位で何者なんだろうと思ってた記憶 野田のトレードを一番喜んだのがノムさん「フォークのお化けが消えた」
現に阪神はヤクルトとの相性が更に悪くなった 松永福良ブーマー門田石嶺藤井本西中島小川
代打 村上南牟礼熊野
ヨダレが出る >>120
そう
一年で後ろ足で甲子園の砂をかけて出ていったから
バッシングされまくったけど試合欠場数が多いのを
差し引けばそんなに悪い成績じゃないんだよ エースてほどじゃなかっただろ阪神当時の野田って
阪神に居たらぱっとせず終わってたと思う 高橋智がエレベーター会社で現場仕事してるのはテレビで見た >>46
橋本はセットアッパーとしてだけでなく
西武の若手投手陣、とくに松坂の兄貴的存在として
大きな存在になった 猪俣も寿司職人だし阪神のOBはプロ野球の仕事をしない人も多いね 謎としてはFAが残るという約束をしないのに取った阪神だよな
FAがなければその時点で言えば釣り合ってる >>158
ネタ元がパンチ佐藤の恨み節だという・・・ >>147
若手選手を出して怪我で終わった谷を獲得はばか正直だとマスコミが叩いてたんだがな
谷が復活してオリックスのオーナーが激怒した >>8
年に一度だけ活躍するから七夕男と呼ばれてたよね >>169
92年の投手王国からの躍進のイメージが強すぎるけど
それまでの暗黒投手陣の中、先発抑えとフル稼働してたのは確か
エースという称号が適するから疑問だが 松永はどこのOBでもないかのような扱いを受けてる。
地元福岡でも相手にされてない。 門田ってダイエー時代王と不仲なのも有名だったな
無視したり
引退した年に門田が痛み止めを飲んで薬漬けで満身創痍な姿を診て
ミルに見かねて王監督がもういいだろうと門田を説得して引退させたと
週刊ベースボールで読んだ記憶 世界の美意識はこん/なに違/った。女性の"完璧なプロポーション"は?(比較画像)
http://www.mcpzka.shop/891.html >>118
でも最終年は完封3回防2.98で8勝9敗と勝ち星が伸びなかったという理由で放出と不安な予感はあった。 1995年の日本シリーズで野田とオマリーが対戦するのを見て
多くの阪神ファンが悔し涙を流したとか… つまり、甲子園は人生で大切なことを学ぶ場所だ、と。
「人生で大切なことは幼稚園の砂場で学んだ」 門田はマスコミに愛想がなくて嫌われてただけだろうな 門田と王は接点無いだろ
田淵の事は無視してたみたいだけど >>167
南牟礼は阪急から星野 中日にトレードをされて
移籍した年 ホームランを立て続けに打って大活躍してた記憶
その後、阪神に移籍して石嶺の守備固めとして使われてたな
石嶺は決まったように7回くらいで下げられてた記憶 イチローが1軍へ上がった時
>>中略)この文中の『1軍昇格後に当時の首脳陣から
>>「足を生かし、上から叩きゴロを打て」と打撃スタイルの変更を指示され〜』というのが、
>>イチローに的外れなフォーム矯正を施し、打ち方さえ分からなくなるほどのスランプを引き起こしました。
>>完全に打撃を見失い元のフォームで打たせてくださいといったイチローを
>>土井は「生意気だ」とフォームがめちゃくちゃになった状態のまま二軍に降格させました。
>>そのためバッティングの基礎の基礎からやり直さなければならなくなり、フォームを再構築するまで長い時間が掛かりました。
>>その時にもし打撃を取り戻せなかったらイチローはそのまま潰れていたのです。
イチローの才能は見抜いてたけど、自分の型通りに嵌める事を拒否した選手をイビッたり、
二軍へ落としたり、とまあ無能だとは思うがね。土井はイチローを二番バッターとして育てたかったそうだ
好き勝手やらせて、結果がダメだと分かってから下へ落とせばいいわけだし、
ちなみにイチローの打撃を育てたと言えるのは河村さん(二軍打撃コーチ) >>186
オマリーが阪神を離れる時にヤクルトとオリックスが獲ろうとして、結果はヤクルト行きになったんだよね
まあ神宮が狭いとはいえ、まさかオマリーがヤクルトで30本打つとは思わんかった >>193
石嶺は肝炎闘病で点滴打ちつつ現役だったから
中日ファンだったので豊蔵の活躍はよく覚えてますぜ(瞬間花火だったけど >>193
石嶺とセットのトヨゾー懐かしいw
この年は古溝がまさかの大活躍で
阪急選手が目立っていたな お詫びに星野、石嶺、山沖をあげてるんだからもう許してくれ >>134
矢野⇆関川 これも面白いよな。最初は関川が覚醒して中日の核弾頭になるけど程なく済んで、元々評価は高かったとは言え阪神に無くてはならないキャッチャーになる訳だし。
星野阪神の時、矢野で控えが野口の上、井川、藪、ムーア、伊良部とかの投手王国って物凄く安心感があったのを思い出すわ >>117
最初は中村・大豊と桧山・久慈
ドームに移行するドラゴンズと正捕手と中軸打者を希望するタイガースとの間で現場レベルではまとまりかけてたが、タイガースフロントが中心選手同士のトレードに難色を示した。 俺は逆にあの単打マンのパチョレックが甲子園で20発以上打ったことに驚いたよ
スタンスを狭めてホームランが出やすく変えたらしいけど
あのヤクルトと優勝争いのつばぜり合いをしていた時、
確かオマリーかパッキーのどちらかが故障して
突然、横浜スタジアムで観戦した時に4番岡田でコールされた時
ものすごく盛り上がってた記憶
試合も勝って応援団が凄かった
俺も友達とビールをしこたま飲んで帰りの電車内で阪神ファンが六甲おろしとか
選手のテーマを大合唱してた
亀山 新庄ブームもありあの年は凄い盛り上がりだった 郭李は五輪で台湾代表で活躍した凄い投手が阪神に来るという触れ込みで、
かなり期待されていた記憶 >>197
南牟礼はバンスローの応援歌を使いまわされていたな
星野中日で試合中に感情を露わにする燃える男としてもキャラ立っていたね >>183
え?
王さんが監督になるのは門田さんが引退した後だぞ 松永は味方が1人もいない人間だけど孤高というほどカッコよくないんだよな
単に人間性に問題があるようにしか見えないんでw
本人も別にそれが快適なわけでもないんだろうけど
不器用なのかプライドが高過ぎるのか分からない 野球がまだまだ国民の中心的話題の時代だったね
松永もそこまでスーパースターって訳でもなかったのに、あれだけ騒いだんだからな
今ではどこのチームが優勝しても3日くらいでみんな忘れてしまうから寂しいよな 松永みたいな性格の投手はいっぱいいるよ
野球は個人スポーツの集合体だからこういうメンタルでもやれる >>54
野村の著作に門田の頑固さは何度も書かれていたな >>203
1990年代も阪神もオリックスも関係ないけど史上最悪の
トレードは加藤初と関本四十四だと思う
そしてこの詐欺トレードの成立に気を良くした長嶋茂雄は
張本勲獲得のために高橋一三放出を断行する
まあこっちは富田勝さん共々ファイターズで報われたんで
良いトレードだったけどね >>174
猪俣って当時なんとなくだけどチーム内で浮いていた印象あるんだけど、気のせいかな? 成績がいいのにトレードにだされるのは、横柄か気難しい人間がほとんど >>208
住んでる地域差があるかな、
その時代は野球と言うより「巨人、巨人」だったと思う
パリーグの選手なんて清原しか知らない人が多かったよ
それに「西武が強いだけのリーグ」と言われてたし、
パリーグが全国的に脚光を浴びるようになったのはイチローが登場してから
伊良部とかも人気だったね>イチローvs伊良部 平成の名勝負
阪神は人気あったけど、亀山とか新庄のブーム的だった、
掛布やバースとか、打線の核になる人が居なかった気がする >>119
二番セカンド遠山
三番サード鮎川
浦和カモメ軍のスタメンでよくあったな >>162
出張中に宿泊していたホテルのベッドに倒れていた ハンケチ王子が阪神にトレードされるとして、釣り合うのは誰?
良太あたり? >>74
いくら言い聞かせても秋山が応じず、あの根本がガチで追い込まれたらしいね
しまいには脅迫めいた事言っても秋山は納得しなかったそうな
もし秋山に逃げられてたら王が来る話も潰れてたらしいから
球史が変わっていただろうな >>93
野田ルックスいいか?身長あるニキビ顔の芋兄ちゃんな印象
松永の性格は置いておいて渋みのあるオッサンルックスと野球の実績は上だったし >>162
復帰後は編成面でもそこそこ結果残してた感はあるなあ 阪神なら陽川とか出してやればいいのにな
育てる気ゼロだろ
鳥谷大山で席埋まってるし >>193
守備の人だった南牟礼選手が名古屋球場とはいえ7本か8本打ったので驚きました。 >>226
暗黒時代なら中谷とか一昨年オフにあっさり放出してそうw トレードの釣り合いとしては、そこそこアリなトレードだったと思うぜ。
問題はFAが導入されたばかりで阪神がそれを全く考慮してなかった所だな。 >>116
高く評価してたからフォームを改造して巨人の選手のようになって欲しかったって事?
それは無能かもしれん >>138
懲罰だよ
メジャーメジャーうるせーから 野田も最後は壊れちゃったからな
フォーク投手の宿命というか >>225
コンラッドを即決したのはアレだったが阪神での最後の方はそう悪くなかった >>232
当の本人はメジャーが何なのかもよく理解してない噂 >>183
確執ていいますか当時、南海監督のノムさんが全打席ホームラン狙いの門田さんを見かねて王さんから門田さんへのアドバイスを依頼したんですが、「ヒットの延長がホームラン」という王さんの意見に対して「」 当時の松永に求められた数字は
打率3割 20本 盗塁20
マジでこれくらいだった
このトレードを知って黄金時代の西武・森監督が
「これで助かった」という記事が出てたのを見たことがある、 >>183
当時、南海監督のノムさんが全打席ホームラン狙いの門田さんを見かねて王さんから門田さんへのアドバイスを依頼したんですが、
「ヒットの延長がホームラン」という王さんの意見に対して「ホームランの出来損ないがヒット」と世界の王さんに対しても怯まない門田さんの頑固さを現したエピソードがある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています