少々話が脇に逸れてしまったが、2人が似ているというならば、代表チームのここからの経過と行き着く先も似ているのだろうか。16年前の当時、トルシエジャパンはW杯予選がなかったために、もっぱら親善試合をこなしていた。フランスに0-5の大敗を喫しての軌道修正から臨んだ6月のコンフェデレーションズカップではそのフランスに0-1の惜敗で準優勝を果たした。

 続く8月には、アジア王者とオセアニア王者が対戦するAFC/OFCチャレンジカップでオーストラリアに3-0と完勝しており(当時のオーストラリアはまだオセアニア所属だったのだ)、やっぱり奇縁を感じずにはいられないのだが、いずれにしても解任論が結果で封じ込まれ(報道の空気はそう変わらなかったように思うが)、我われファンは結構夢見る気分だった時期だった。

 ところが、このあとに重ねていく親善試合では結果・内容ともにいま一つのゲームが多く、チームは下降線に入っていく。W杯1年前にチームとしてのピークが来てしまったというのが今にして思う個人的な印象だが、これを受けて指揮官は最後の最後に至って大きな決断を下すこととなる。

 背番号10を背負うスター選手をチームから取り除くと同時に、集団内で重しとなれるベテラン選手を新たに加えたのだ。これは驚天動地の大騒ぎとなり、再び監督をめぐる議論が加速することとなったが、初の16強入りという結果は残ることとなった(その評価もまた大きく分かれることになったのだが)。

 これと似たような展開があるかと言えば、前者についてはないとは言えないだろう。少なくともこの2人の指揮官はどちらも、スター選手の存在がチームを強くするとは考えていない点で共通したものがある。後者についても、もしもチームが壊れそうな雰囲気があるならば、ベテラン抜擢に限らず、ムードメイキングを意図した決断自体はあり得る。ハリルホジッチ監督はメンタルを軽視するタイプの指揮官ではない。

 もう一つ、トルシエジャパンで起きたこととして挙げておきたいのは、結果が出ない中にあって監督が戦術面で強く求めてくるものを選手側が柔軟に解釈し、うまくやろうとする動きが強まり、次第に形になっていったことだった。機械的にではなく、臨機応変に戦うことを希求することで、チームは最後にもう一段階強くなることができた。

 当時はまるで造反が起きているかのようにも報道されていたが、実態としては選手と監督が互いに意見をぶつかり合わせながらうまい落としどころを見つけたという話である。実は指揮官も最初からそういう反応こそ望んでいた節もあり、この点もハリルホジッチ監督は意外に共通しているのではないだろうか。

 最初は強烈な指揮官の自己主張に対して萎縮したり反発するだけだった選手たちの心理面でのブレイクスルーは、あのチームが最後に迎えたキーポイントであり、大きな分水嶺でもあった。

 もちろん、ここからわずか9カ月弱の期間で、濃密な4年間を過ごしたトルシエジャパンのような境地をハリルジャパンの面々が切り開けるかは何とも言えない。だが、単なる反抗や反発ではない議論や葛藤から生まれる材料はきっとある。日本代表のロシアにおける勝機は、指揮官と選手たちの間に落ちている。そんな気がしている。

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