羽生天才を解剖する・・・青野照市九段

羽生善治が他の棋士と違うのは、まず苦手な戦法がないことである。
普通の棋士は居飛車党、振り飛車党と、得意な戦法がほぼ決まっていて
たまに慣れない戦法をやると、笑われるほどひどくなることがある。
しかしどんな戦法も指せるということは、作戦的にも相手が的を絞りにくい上に
後手番になっても不利な状況にも困らない利点がある。
野球で言えば、右でも左でも3割5分打てるバッターのようなもので
どんな投手にも対応できる変化自在な羽生は確実に、棋界初のスイッチヒッターだ。
もう一つ羽生の特徴に悪くなっても容易に土俵を割らず、逆転劇が多いことだ。
これを「羽生マジック」と呼んだ人がいるが、まやかしの手を指す訳ではない。
形勢が悪くなっても、相手に引き離されない技術はさすがピカ一で
相手は優勢と思っても、いつまでも背中にピッタリ張り付かれる状況に、優勢な側が焦り
時間を使って秒読みに追い込まれる中で悪手を指し、逆転するのである。
このパターンで思い出すのが、1995年の名人戦第1局、羽生名人−森下卓八段戦である。
将棋は森下優勢から、必勝形に。「もうすぐ終わります」の判定に、報道陣は対局室の脇で待ち
「終わりました」の合図と共に対局室になだれ込んだ。当然、勝者のはずの森下にフラッシュがたかれる。
しばらくして、どうも雰囲気がおかしいことに誰かが気付いた。勝ったのは、羽生だったのだ。
終局間際に森下が大悪手を指し、一瞬で逆転したのだった。

私自身も、羽生との初対局(私がA級八段で、羽生が五段)で、不思議な負け方をした。
将棋はやはり私の優勢から勝ちになり、私は秒読みとは言え、相手の投了を待っていた。
「評判の若者もまだまだだな」と思っていた矢先に投了せず
受けにならない手を指された私は、簡単な詰みを逃し、千日手に逃げ込まれた。
指し直し局も優勢の将棋を逆転負け。
「不思議な力を持った若者・・」が、私の羽生さんに対する第一印象だった。