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一記者の見た朝日新聞社――徹底解剖 日本の大組織
http://bunshun.jp/articles/-/3754

そんな或る日、「海外の大会で、『君が代』が始まると、席を立つ観客が多い」という、Y編集委員の署名記事が載った。
その記事なら私も覚えている。川村さんは「あれって、本当かよ」とY編集委員に聞いた。
海外でのスポーツ大会はテレビでよく見るのに、そんなシーンは見たことがなかったからだ。時評は、こう続く。
「すると、こういう答えが返ってきた。『ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、
ああいうふうに書いておく方がいいんですよ』。あまりのことに、言葉を失った」
 編集委員は、朝日の顔である。
「ショックだった」と川村さんは記す。

90年代半ば、元朝鮮総連活動家の知人が友人に会わせてくれようとした件もそうだった。
その頃、日朝間で何か問題があると、朝鮮学校に通う女生徒の制服チマチョゴリがナイフで切られる事件が続いていた。
或る時、知人が吹っ切れたように話し始めた。
「あんなことはもうやめないといけませんよ。自分の娘を使っての自作自演なんです。娘の親は総連で私の隣にいた男です。
北で何かあると、その男の娘らの服が切られる。朝日にしか載らないが、書いている記者も私は知っている。
ゆうべ友人に電話しました。『娘さんがかわいそうだ』と。彼は『やめる』と約束しました。会いますか?」
「いや、結構です」と即答した。掲載をめぐって衝突すれば社を辞めることになるのも見えている。
動悸(どうき)は続いたが、悲しすぎる素材で、書かないことに対する自分の中での抵抗は幸い薄かった。