https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170825-00139791-diamond-bus_all

● 視聴率競争が激化するなか 朝の時間帯に起きた「異変」

 「血に飢えた視聴者」――。テレビ局の制作現場でよく聞かれる言葉だ。何をやれば高視聴率が取れるのか。確固たる方程式はなく、解明する術がない……。日々、悩み続ける彼らには、視聴者が「吸血鬼」に見えるらしい。

 インターネットが急成長し、メディア激変の時代を迎えるなか、視聴者のテレビ離れが言われて久しい。視聴率の低迷はテレビ局にとって死活問題である。民放の屋台骨を支えるのは、スポットCMなどを通じてクライアントに「視聴率を売る」ことによってもたらされる収益だからだ。事業の多角化も進んでいるとはいえ、テレビ局が売上を伸ばすには、基本的に番組の視聴率を上げ、広告単価を上げるしかない。

 それが以前よりも難しくなった今、テレビの現場にはこれまで以上に「視聴率至上主義」が蔓延し、様々な試行錯誤が行われている。企業にとっては目先の利益を追求することも大事だが、なかにはそれが高じて、テレビマンのモラル低下、ひいては番組の質低下を招いている、本末転倒な事例も見られる。

 視聴者を「吸血鬼」呼ばわりする現場の空気が、悩み深い状況を物語っていると言えよう。

中略

● このままだと、誰もテレビを 観なくなるのではないか?

 どこを向いても真っ暗闇なテレビ業界が再生するためには、どうすればいいのか。その解の1つは、極めてシンプルなことではあるが、社会に楯突く刺激的なメディアに戻ることだ。

 テレビ草創期、政治家は表情がそのまま映るテレビを恐れた。「テレビは新興メディアだ」と新聞からバカにされたが、その新興メディアはこれまでの慣例に囚われず、新しいことに次々と挑戦し、視聴者の大きな関心を呼んだ。

 しかし今、テレビはミスをしないこと、権力から文句を言われないようにすることばかりを気にしている。安倍首相が森友・加計問題の国会答弁で連発した「印象操作」という言葉は、テレビ局幹部にとって聞き慣れた言葉だった。

 安倍自民党はことあるごとにテレビ局にクレームをつけ、「報道内容が政権に悪い印象を持たせるような表現になっている」と局側に指摘してきた。選挙前に自民党から「バランスがとれた報道を求める」との文書を送り付けられた局もある。報道への圧力ともとれる文書を、テレビ局側は黙って受け取るだけだった。

 こんなメディアを視聴者は面白いと思って観るだろうか。テレビ業界はかつて、シャンパングラスのタワーに例えられた。宴会場の天井近くまで積み上げられたシャンパングラスの上からシャンパンを注ぐと、最下段のグラスにまで同じシャンパンで満ち溢れて潤うという意味だ。

 テレビが刺激的なメディアであった時代、視聴率が多少悪くてもおカネは十分入ってきた。しかし、世の中の経済構造が変化し、個人の価値観が多様化し、ネットメディアが急成長する時代となり、お金の「出し手」は必ずしもテレビを魅力的なメディアとは思わなくなっている。

 当時と今を単純には比較できないが、「暴れん坊」くらいでないと、もはや誰もテレビを見ないのではないだろうか。

 (テレビ業界ジャーナリスト 池 恵子)

2017/08/25(金) 15:04:07.80
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