>>329
それはそのとおりだが、出演するきっかけは片淵監督の強いオファーがあって、口説かれて
、能年もやってみたいと考えたのがめぐり合わせになったのだ。監督も能年も作っている時点
ではヒットすることは考慮のほかだったと思うよ。
それが証拠に、東京テアトルという弱小配給会社しか引き受けてがなくて、たった63館での公開
だったのだから。金もないのでクラウドファンディングに頼ったりもした。
それが、2億円の総製作費で26億円の興業収入を上げた。損益分岐点が6〜7億円だから、純益
は20億円に達した。そのため、東京テアトルのボロ株価がストップ高を演じて兜町で話題にも
なったりした。
すべては結果論だが、目に見えざる力が働いて運をもたらしたとしか言いようがない。
運も実力のうちというなら、能年にその力が備わっていたといえるだろう。