※続きです

当然ながら、1年が過ぎても彼女のもとには誰かが来るどころか、一本の電話すら入らなかった。

「さすがに後悔し始めてね。
フィリピンでの女優業も上手くいかなくなっていたし、それで事務所の社長に電話で謝った。
すると“取りあえず帰って来なさい!”って言ってくれて……。それで約2年後の97年の7月に日本に戻ったんです。
もっと早く帰るべきだったって、いまは後悔しきりです。だけど、あの時は若いから意地になってたんですね」

どうにか謝罪は受け入れられ、事務所への復帰は認められた。
ところが、以前のような女優の仕事は望むべくもなかった。

「どれだけ私が大きな失敗を犯したのか、その時にはっきり実感したんです。
一度失った信用はなかなか取り戻すことはできないんですね。
決して昔みたいに忙しいとは言えず、ポツポツと仕事は入るけど、それは『あの人はいま』っていう企画が多かった。
最初のオファーの時は、名前が出れば、また映画の仕事も来るかなって思ったんだけど、何カ月かして来た次のオファーも同じ内容。
何だか悲しくなっちゃった」

収入も、かつての何分の1かに落ち込んだという。

「だから私、色んなアルバイトしたよ。
水商売はもうしたくなくて、アイスクリームのコーンを作る工場や、ひたすらおしぼりを丸める仕事もやった。
ライブ会場のスタッフをした時は、お客さんの1人が私に気付いてサインを欲しがって。あの時は恥ずかしかったな」

身勝手な過去の振る舞いも反省しきりだそうで、

「復帰してすぐ、研ナオコさんには土下座をして謝りました。
優しい方で、すぐに許してくれました。ただ、崔監督とはあれっきり。
いずれ、きちんとお詫びしなきゃと思ってます」

最近はドラマの仕事も入り、再び演技ができる喜びを噛み締めているそうだ。

「撮影の日の朝、ロケバスに乗って“おはようございます!”って挨拶をするでしょ。
そしたら、女優に戻れたんだっていう嬉しさに涙がポロポロ出てくるの。
やっぱり私、女優の仕事が好き。これからはもっともっと、テレビにも出て行きたいと思ってるよ」

名声、財産、順調だったキャリア……。
その喪失感を噛み締めるように語る様は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。

※以上です