結城康平コラム】TACTICAL FRONTIER

サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか?すでに世界各国で起こり始めている“ 戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。


文 結城康平


 フットボールというスポーツは、時おりチェスにたとえられる。ラス・パルマスの躍進を支えたスペイン人指揮官キケ・セティエン(現ベティス監督)はチェスプレーヤーとして得た知識をフットボールに応用しているという。両者に共通しているのは、戦術における陣形の概念だろう。しかし、フットボールにおいて「駒」は「人間」だ。その事実が、フットボールというゲームに不確実性を付与していると言える。クイーンの能力を持つ選手が、常にクイーンとして動けるわけではないからだ。

 近年、フットボールの世界は不確実性を排除する方向で発展しており、その中の一つにメンタルの再定義がある。戦術を完璧に遂行させるためには、選手の心理を知らなければならない。従来のフットボールでは、メンタルは変化することのない選手の特性として捉えられていた。かつてはディエゴ・マラドーナやジョージ・ベストのように私生活に起因する不安定なメンタルを圧倒的な閃きによって覆す「不安定な天才」がいたが、高い運動能力と献身性を求められる現代のフットボールではその居場所は失われつつある。



感情をコントロールする筋肉


 科学の発達に伴って研究が進む中で、精神力も筋肉と同様に「鍛えられる」という考え方が登場してきた。1990年代以降、心理学やリーダーシップ研究の世界で注目を集めたのがEQ(エモーショナル・インテリジェンス・クォーシェント)という指標だ。知能指数を示すIQに対して、自分の感情や相手の感情を理解する「心」の知能指数を指す。スポーツにおいても、感情のコントロールはパフォーマンス向上に欠かせない。EQをスポーツの世界に特化させたのが「エモーショナル・マッスル」(=感情をコントロールするための心の筋肉)という概念だ。

 感情のコントロールは周囲の人間にも良い影響を与えるという研究もある。メンタルの改善は個人の問題と思われがちだが、実際はチームメイトとの連係にも深く関わってくるのだ。しかし、アドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンは激しい運動中に分泌量が増える傾向にあり、フットボールの試合中に感情をコントロールするのは簡単ではない。ピッチ上では、様々な外的要因や脳内で生成される化学物質が選手の判断能力を狂わせていく。だからこそ、エモーショナル・マッスルの重要性が注目されているのだ。

 パフォーマンスの専門家として多くのプロアスリートを指導するジョン・ハイメによれば、自分自身のプレーについて知ることが、感情をコントロールするための一つの方法だという。強みと限界、ネガティブな感情を生み出す引き金を理解することで、外的な環境の変化に適応しやすくなる。自分が苦手なプレーを選んでしまうとミスが起こりやすくなり、結果的に感情のバランスを崩すことに繋がる。逆に、プレーを失敗した後に意識的に得意なプレーを成功させられれば、感情の安定を取り戻せるわけだ。

 ハイメはエモーショナル・マッスルを鍛えるためのポイントとして、「試合から自分のプレーを意識的に切り離し、明確な目標を設定すること」を提唱する。例えばクリスティアーノ・ロナウドは、彼を指導したコーチによれば「試合の中で失敗したプレーを練習で繰り返し、成功するまで練習場を離れなかった」という。ここで重要なのは、彼が自分のプレーを意識的に「外的な要素」から切り離すことに成功していることだ。対戦相手という不確定要素を排除した上で失敗したプレーだけを抽出して練習し、成功を繰り返すことで「自信」に変える。自分のプレーを客観視し、明確な意図を持った練習を通して、毎日の練習で「自信」を積み重ねる。彼は感覚的に、精神を鍛える方法を知っていたのかもしれない。