X



【テレビ】<NHK・731部隊の真実〜エリート医師と人体実験〜> エリート医師が生物兵器を作っていた史実。実名や写真とともに赤裸々に★2©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001Egg ★@無断転載は禁止 ©2ch.net垢版2017/08/14(月) 18:36:32.22ID:CAP_USER9
この史実にどう向かい合うのか「731部隊の真実 〜エリート医師と人体実験〜」


昨晩のNHKスペシャル「731部隊の真実 〜エリート医師と人体実験〜」はショッキングなドキュメンタリー番組だった。軍の要請とはいえ、日本のエリート医師が、「お国のため」と自らを正当化し、多額の研究費を得て、人体実験に関与していたという史実が、実名や写真とともに赤裸々に描かれていたのだ。

この番組を観ながら、すぐに思い出されたのが、ナチスドイツのT4作戦だ。これは、優生学思想に基づいて行われた安楽死政策で、知的障碍者、認知症高齢者、寝たきりの高齢者など7万人が殺害された。ここでガス室の予行演習が行われた。ここに、多数のドイツ人エリート医師が、人体実験に参画していたのだ。後にカトリック教会からの抗議で中止されたが、その後も、医師が自発的に人体実験を行っていたという。

遠く、ナチス・ドイツの出来事と思っていたことが、規模こそ異なるとはいえ、日本軍とエリート医師において起こっていたのだ。また、生物兵器を作り、実践していた。この史実を、日本人の何人が知っていたのだろうか。

さらに、複雑な気持ちにさせたのは、戦後、冷静さを取り戻した社会における彼らの態度だった。何事もなかったのように、大学に戻り、医学研究者として成功していた者の名前が挙げられていた。NHKは番組の中で、東大に取材を申し込んだが、「組織的な関与はなかった」との回答があったと明記していた。

番組の最後で、後悔の言葉を述べ、自殺した医師が紹介されていた。それは、番組制作者の気持ち、つまり、「他の人々も事実に向かい合って、自らを振り返ってほしい」という希望であったと思う。われわれ日本人は、この史実にどう向かい合うべきなのか。「見て見ぬふり」は許されないのではないか。終戦記念日を前に、非常に重い課題が提示された。

田中弥生

2017年08月14日 08:57
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1502686231/

2017/08/14(月) 13:50:31.99
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1502686231/
0416名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:37:33.27ID:FYtcUYme0
4 諸結果
 A 省略

 B 金沢の病理標本は、ハルビンから石川太刀雄によって1943年に持ってこられた。それは約500
  の人間の標本か ら成っている。そのうちの400だけが研究に適した標本である。ハルビンで解剖さ
  れた人間の事例の総数は、岡本耕造博士によれば、1945年に1000以下であった(表R)。この
  数は石川博士が日本に帰ったときのハルビンに現存していた数より200多い。最初に提出された標本
  目録の結果からして、多くの標本が提出されていないことが明らかであった。しかしながら、最初に提
  出されたよりも著しく多い標本の追加的コレクションを入手するには、多少催促するだけでよかった。
   左の表は、様々な疾病毎の事例数と研究に適した標本の事例数である。(以下省略)

 C 個々の調査者から特別の説明文書を入手した。実験に関する彼らの記述は別の報告書に収めてある。
  これらの説明文は、一覧表で示された病理標本をわかりやすく説明するものであり、人間および植物に
  対する伝染病の実験の程度を示すものである。

5 この調査で収集された証拠は、この分野のこれまでにわかっていた諸側面を大いに補充し豊富にした。
 それは、日本の科学者が数百万ドルと長い歳月をかけて得たデータである。情報は特定の細菌の感染量で
 示されているこれらの疾病に対する人間の罹病性に関するものである。かような情報は我々の研究所では
 得ることができなかった。なぜなら、人間に対する実験には疑念があるからである。これらのデータは今
 日まで総額25万円で確保されたのであり、研究にかかった実際の費用に比べれば微々たる額である。
  さらに、収集された病理標本はこれらの実験の内容を示す唯一の物的証拠である。この情報を自発的に
 提供した個々人がそのことで当惑することのないよう、また、この情報が他人の手に入ることを防ぐため
 に、あらゆる努力がなされるように希望する。
                                エドウィン・V・ヒル M.D.
                                主任、基礎科学
                                キャンプ・デトリック、
                                メリーランド
0418名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:40:11.53ID:FYtcUYme0
−−−−−−−−−−−−−フェル・レポート:731部隊調査報告書−−−−−−−−−−−−−

 下記は、アメリカから派遣されたノバート・H・フェルが731部隊関係者の尋問を基にして作成した調査報告書であり、アメリカが日本軍の人体実験について調査した最初の報告書である。
  アメリカが日本軍の人体実験の調査に乗り出したのは、ソ連が石井四郎(731部隊長)、菊池斉(第一部細菌研究部長)、太田澄(第二部実践研究部長)の3人の尋問を要求したことがきっかけであったという。
  ソ連は抑留した川島清(731部隊第四部細菌製造部長)と柄沢十三夫(同部第一班細菌製造班班長)から731部隊の情報を得て、3人の尋問を要求したのである。
  ところが、アメリカは独自に調査をし、731部隊関係者の戦犯免責と引きかえに、その研究成果を独占入手したのである。
  下記はその第3次の調査報告書であり「フェル・レポート」といわれるものである。
  この調査報告書は、参謀本部作戦課員井本熊男「業務日誌」(防衛研究所に23冊あり、現在は閲覧禁止になっているという)や中国戦犯管理所における関係者の自筆供述書、
 またハバロフスク軍事裁判公判書類等とともに、731部隊細菌戦にかかわる重要文書の一つである。
  「論争731部隊」松村高夫編(晩聲社)よりその一部を抜粋する。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                 フェル・レポート(「総論」)

主題:日本の細菌戦活動に関する新情報の要約
宛先:化学戦部隊部隊長
経由:技術部長、キャンプ・デトリック
   司令官、キャンプ・デトリック
発信:PP─E部門主任、キャンプ・デトリック

1 1947年2月中に、極東軍のG─Uから、日本の細菌戦活動に関する新しいデータが入手可能だろうとの情報を得た。
  その情報は主として日本の細菌戦組織(防疫給水部)のさまざまな旧隊員たちから極東軍最高司令官宛に送られた多数の匿名の手紙にもとづいている。
  それは満州の平房にあった細菌戦部隊本部における人間に対して行われた各種の実験について記述していた。
  G─Uはこの情報が十分信頼できるので、集められた情報に評価を下すため、キャンプ・デトリックの使節を現場に派遣するという要請を正当化できると考えた。

2 筆者は1947年4月6日付の命令にもとづき極東軍総司令部のG─Uとの一時的任務のため、日本の東京に到着した。
  筆者は4月16日に到着するや、集められたファイルを吟味した結果、その情報は日本の旧細菌戦組織の指導的隊員たちを再尋問することを正当化するのに十分なほど信頼できそうだとするG─Uの代表たちの意見に同意した。
  次々に幸運に恵まれた状況にあったことや、一人の有力な日本人政治家(彼は合衆国に対して全面的に協力することを真摯に望んでいるようである)の助力が得られたこともあって、
  最終的には細菌戦に従事してきた日本人の重要な医学者に全ての事実を明らかにすることに同意させることができた。
  得られた結果は次のようなものである。

 A 細菌戦計画における重要人物のなかの19人(重要な地位に就いていた数人は死亡している)が集ま
  り、人間に対してなされた細菌戦活動について60ページの英文レポートをほぼ1ヶ月かけて作成し
  た。このレポートは主として記憶にもとづいて作成されたが、若干の記録はなお入手可能であり、これ
  がそのグループには役立った。このレポートの多岐にわたる詳細な記述は後述する。

 B 穀物絶滅も大規模な実験が行われていたことが判明した。この研究に携わっていたグループは小規模
  で、植物学者と植物生理学者が各1名と少数の助手たちから成っていた。しかし研究は9年間にわたり
  活発に行われた。その植物学者は非常に協力的であり、結局植物の病気に関する研究について10ペー
  ジの英文レポートを提出した。成長ホルモンの研究は行われていなかったが、植物の病原体は広範囲に
  研究されていた。キャンプ・デトリックでなされるこの双方の研究とも日本人が行っていたものであ
  り、加えてその他多くのことも注目されていた。菌類、細菌そして線虫類に関しては、とくに満州およ
  びシベリアで成育する穀類と野菜については実際に全種類についてそれらの影響を調べている。

  例えば…以下8行省略
0419名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:40:50.31ID:FYtcUYme0
 C 爆弾あるいは飛行機からの噴霧による細菌戦病原体散布のさいの粒子のサイズの決定および水滴の飛
  散について、理論的に・数学的に考察した興味あるレポートを得た。

 D 中国の市民と兵士に対して12回の野外試験を行った。その結果の要約、および関連した村と町の地
  図が提出された。この要約および採用された戦術の簡単な記述は、後に述べる。

 E 風船爆弾計画に関わっていた一人から短いレポートを得た。このレポートでは、細菌戦の病原体の撒
  布のために風船を使用することが大いに注視されたと記されているが、この目的遂行のためには不満足
  だったと指摘されている。しかしながら、もし望むならば、風船爆弾に関する完全な詳細な記述は、当
  初からその計画に携わっていた他の人々から得られるかも知れない。

 F 細菌戦の指導的将校の一人がスパイおよび破壊活動に与えられた一連の漏洩を記した原本の文書を得
  ている。この文書の翻訳された要約は、キャンプ・デトリックの手中にある。

 G 家畜に対する細菌戦研究は平房とは全く別の組織が大きな規模で行っていたことが判明した。そのグ
  ループの20人の隊員がレポートを書いており、それは8月中には入手可能となろう。

 H 細菌計画の中心人物である石井将軍は、その全計画について論稿を執筆中である。このレポートは細
  菌兵器の戦略的および戦術的使用についての石井の考え、さまざまな地理的領域での(とくに寒冷地に
  おける)これらの兵器の使用法、さらに細菌戦についての石井の「DO」理論のすべての記述が含まれ
  るだろう。この論稿は、細菌戦研究における石井将軍の20年にわたる経験の概要を示すことになろ
  う。それは7月10日頃に入手可能となろう。

 I 細菌戦の各種病原体による200人以上の症例から作成された顕微鏡用標本が約8000枚あること
  が明らかにされた。
   これら標本は寺に隠されたり、日本南部の山中に埋められていた。この作業すべてを遂行あるいは指
  揮した病理学者が、現在その標本の復元、標本の顕微鏡撮影、そして各標本の内容、実験上の説明、個
  別の病歴を示す、英文の完全なレポートを準備している。このレポートは8月末頃入手可能となろう。

 J 自然的および人工的ペストのすべての研究についての合計600ページにのぼる印刷された紀要も手
  中にある。これらの資料はともに日本語であり、まだ訳されていない。

3 研究室および野外実験に使われた人間の実験材料は、各種の犯罪のため死刑判決を受けた満州の苦力とのことであった。
  アメリカ人あるいはロシア人の戦争捕虜が使われたことは、(何人かのアメリカ人戦争捕虜の血液が抗体検査に使われたのを除けば)一度もなかった、と明確に述べられていた。
  この主張が真実でないことを示す証拠はない。
  人間の実験材料は他の実験動物と同じ方法で使用された。
  すなわち、彼らを使って各種病原体の、感染最小量及び致死量が決定された。
  また、彼らは予防接種を受けてから、生きた病原体の感染実験を受けた。
  さらに彼らは爆弾や噴霧で細菌を散布する野外実験の実験材料にさせられた。
  これらの実験材料はまた、ペストという広範な研究で使われたことはほぼ確実である。
  人間について得られた結果は、多少断片的である。
  それはどの実験でも統計的に有効な持論が得られるほど十分に実験材料をつかうことができなかったからである。
  しかしながら、炭疽菌のような最も重視されていた病気のばあいには、数年間に数百人が使われたようである。
0420名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:41:14.48ID:FYtcUYme0
4 人間を使った細菌戦活動についての60ページのレポートの多岐にわたる詳細な記述の要約は、次の通りである。
  特記なきときは、ここで示されたデータは、全て人体実験によるものである。
【以下(1)の(d)以外は項目のみとする】
(1) 炭疽
  (a)感染量あるいは致死量
  (b)直接感染
  (c)免疫実験
  (d)爆弾実験
     野外試験の完全な細部の記述と図表がある。ほとんどのばあい人間は杭に縛りつけられ、ヘルメ
    ットとよろいで保護されていた。地上で固定で爆発するものあるいは飛行機からとうかされた時限
    起爆装置のついたものなど、各種の爆弾が実験された。雲状の濃度や粒子のサイズについては測定
    がなされず、気象のデータについてもかなり雑である。日本は炭疽の野外試験に不満足だった。し
    かし、ある試験では15人の実験材料のうち、6人が爆発の傷が原因で死亡し、4人が爆弾の破片
    で感染した。(4人のうち3人が死亡した)。より動力の大きい爆弾(「宇治」)を使った別の実
    験では、10人のうち6人の血液中に菌の存在が確認され、このうちの4人は呼吸器からの感染と
    考えられた。この4人全員が死亡した。だが、これら4人は、いっせいに爆発した9個の爆弾との
    至近距離はわずか25メートルであった。
  (e)牧草の汚染
  (f)噴霧実験
  (g)安定性
  (h)事故および実験による感染
(2)ペスト
  (a)感染あるいは致死量
  (b)直接感染
  (c)免疫実験
  (d)爆弾実験 
  (e)結果…
  (f)安定性
  (g)ペストノミ
(3)腸チフス、パラチフスAおよびB型、そして赤痢(細菌性)
  (a)腸チフス
  (b)パラチフスAおよびB型
  (c)赤痢
(4)コレラ
  (a)感染量
  (b)免疫実験
  (c)噴霧実験
  (d)安定性
(5)馬鼻疽
  (a)感染量
  (b)免疫実験
  (c)爆弾実験
  (d)噴霧実験
(6)流行性出血熱(孫呉熱)
0421名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:41:36.10ID:FYtcUYme0
(7)結論(60ページのレポートの最終部分)
 前記以外にも各種の病気が細菌戦研究の初期の段階で研究された。その中には、結核、破傷風、ガス壊疽、ツラレミア(野兎病)、インフルエンザ、それに波状熱(ブルセラ症)があった。
 結核菌の静脈注射で全身的な粟状結核の急激な感染は起こせるが、呼吸器によって人間に感染させることは容易ではないことが判明した。
 一般的に、日本が研究した細菌戦用病原体のうち二種類だけが有効で、炭疽菌(主に家畜に対して有効と考えられた)とペストノミだけだったと結論できる。
 日本はこれらの病原体で満足していたわけではない。それは彼らはそれらに対する免疫を作るのはかなり容易であろう、と考えていたからである。
 細菌戦の野外実験では通常の戦術は、鉄道線路沿いの互いに1マイルほど離れた2地点にいる中国軍に対して、1大隊あるいはそれ以上をさし向けるというものだった。
 中国軍が後退すると、日本軍は鉄道線路1マイルを遮断し、予定の細菌戦用病原体を噴霧か他のなんらかの方法で散布し、ついで「戦略的後退」を行った。
 中国軍はその地域に24時間以内に急拠戻ってきて、数日後には中国兵のあいだでペストあるいはコレラが流行するというものだった。
 いずれの場合も、日本はその結果の報告を受けるため汚染地域の背後にスパイを残そうとした。
 しかし彼らも認めているのだが、これはしばしば不成功に終わり、結果は不明であった。
 しかし12回分については報告が得られており、このうち成果があがったのは3回だけだったといわれている。
 高度約200メートルの飛行機からペストノミを散布した2回の試験において特定の地域に流行が起きた。
 このうちひとつでは、患者96人がでて、そのうち90パーセントが死亡した。
 鉄道沿いに手でペストノミを散布した他の3回の試験では、どの場合も小さな流行は起こったが、患者数は不明である。
 コレラを2回そして腸チフスを2回、鉄道の近くの地面および水源に手動噴霧器でまいたところ、いずれのばあいも効果があるという結果を得た。

 筆者は、日本人が思い出せるだけ詳細に真実の話を我々に語ったと信じている。
 しかしながら、おそらくさまざまな報告を分析したのちに我々は回答可能な質問をすることができるだろう。
 我々が大規模生産という点でも、気象学の研究という点でも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていることは明白である。
(石井将軍は大規模生産のために固形培養基の使用を主張した。というのは、石井は毒性は液状培養基では保存されないと信じていたからである。)
 良好な気象学のデータの欠如と軍需生産の分野の貧弱な進言によって、陸軍のなかや、陸軍と科学者の間や、科学者自身のなかのさまざまな職種の間に意見の相違が絶えず存在した。
 平房の部隊は実際空軍や□(判読不能)からなんの援助も受けていない。
 しかしながら人体実験のデータは、我々がそれを我々や連合国の動物実験のデータと関連させるならば、非常に価値があることがわかるだろう。
 病理学的研究と人間の病気についての他の情報は、炭疽、ペスト、馬鼻疽の真に効果的なワクチンを開発させるという試みにたいへん役立つかもしれない。
 今や我々は日本の細菌研究について完全に知ることができるので、化学戦、殺人光線、海軍の研究分野におけるかれらの実際の成果についても有益な情報が得られる可能性は大きいようである。

                     ノバート・H・フェル
                     PP─E(パイロット・プラント・エンジニアリング)部門主任
0422名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:43:01.88ID:FYtcUYme0
−−−−−−−−−−特移扱→丸太(マルタ)ハバロフスク裁判の証言−−−−−−−−−−−

 アメリカから派遣され、731部隊関係者の尋問を基に、はじめて日本軍の人体実験に関する調査報告書を作成したノバート・H・フェルはその調査報告書「フェル・レポート」の中で、

3 研究室および野外実験に使われた人間の実験材料は、各種の犯罪のため死刑判決を受けた満州の苦力とのことであった。
  アメリカ人あるいはロシア人の戦争捕虜が使われたことは、(何人かのアメリカ人戦争捕虜の血液が抗体検査に使われたのを除けば)一度もなかった、と明確に述べられていた。
  この主張が真実でないことを示す証拠はない。

と報告している。そしてフェルに続いて来日し、調査に当たったエドウィン・V・ヒルは、その第4次の調査報告書の最後に

 さらに、収集された病理標本はこれらの実験の内容を示す唯一の物的証拠である。この情報を自発的に提供した個々人がそのことで当惑することのないよう、また、この情報が他人の手に入ることを防ぐために、あらゆる努力がなされるように希望する。
                                    
と書いている。この二人の調査報告書を、ハバロフスク裁判の証言などと考え合わせると、戦犯免責に通じる”取り引き”の結果による”事実の歪曲”の疑惑を感じざるを得ない。
 第1次や第2次の尋問では、人体実験に関しては秘匿していたのである。
 また、ハバロフスク裁判では、下記のような裁判なしの”特移扱”に関するいくつかの証言があるのである。
 「消えた細菌戦部隊」常石敬一(ちくま文庫)よりの抜粋である。

山田乙三大将(関東軍司令官)の証言−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
生きた人間を使用する実験は、私の前任者梅津大将又は植田大将に依って認可されたものであります。
之に関して認める私の罪は……其の続行を黙認したこと……。実験のために囚人を送致すること、即ち所謂「特移扱」も、矢張り私の前任者植田大将又は梅津大将が認可したのでありますが、私も此の認可を廃止しなかった……」。
0423名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止垢版2017/08/15(火) 10:44:12.09ID:FYtcUYme0
 また、佳木斯(チャムス)で憲兵隊長を務めていた橘元憲兵大佐はハバロフスク裁判に証人として出廷し、次のように証言している。

橘元憲兵大佐の証言−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1940年、私は、佳木斯市の憲兵隊長の地位にありました。
 其の時、私は初めて、第731部隊の存在と其の業務を知るようになりました。
 ……当時、何らかの嫌疑で憲兵隊が拘引し検挙した者の一定の部類を、吾々は実験材料として第731部隊に送致していました。
 吾々は、此等の者を、予備的な、部分的取調べの後、裁判に附さず、事件送致せずに、憲兵隊司令部より吾々が受領した指令によって第731部隊に送っていました。
 是れは、特殊の措置でありましたので、、斯かる取扱は「特移扱」と呼ばれていました。
 ……私の佳木斯憲兵隊長在職中、私の隷下憲兵隊本部によって少なくとも6人が第731部隊に送られ 、此等の者は、其処から戻らず、実験に使用された結果、其処で死亡しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 憲兵隊の判断だけで、裁判なしで実験材料とされ殺される、それが「特移扱」なのである。
 そして、「特移扱に関する件通牒」にはその対象が列挙されている。
 さらに、フェル・レポートに反し、ロシア人を第731部隊に送ったという下記のような証言がある。
 これは、ハルビン特務機関の管轄下にある保護院の院長補佐で、情報調査課長であった山岸健二元陸軍中尉のハバロフスク裁判における証言である。

山岸健二元陸軍中尉の証言−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 特務機関長秋草少将の署名入りのハルビン日本特務機関の指令書に依って情報調査課の勤務員は、私の同意を得て現存の罪証資料に依って名簿を作成し、収容所所長飯島少佐の承認を経て、飯島少佐は之に捺印しました。
 飯島は上述の名簿を報告の為秋草特務機関長の許に持っていきましたが、特務機関長は常に吾々の意見に同意し、殺戮の為吾々が予定したソヴエト市民を第731部隊に移送することを許可しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 上記の証言によると、石井部隊に送られ、人体実験の材料とされて殺されたのは中国人や朝鮮人、モンゴル人だけでなく、ソ連人(ロシア人)も含まれている。ただ、ソ連人は特務機関から送られ、それ以外の人々は憲兵隊から送られたということである。
 そして、保護院から石井部隊に送られたソ連人は約40人であったという。
 これら”特移扱”の人たちは、石井部隊では”丸太”と呼ばれ、「石井部隊−”マルタ”生体実験」で紹介したように

「今日の”丸太”(マルタ)は何番…何番…何番…10本頼む」
「ハイ、承知しました」

などと、物として扱われていたのである。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況