東の後楽園に対して、かつて西にはこういうものがあったのだが
結局は、核となる野球に力が無かったので球団は身売りされて行き
球場は解体されて今は普通の商業施設になっているんだよな ウインズは今でも残ってるけど

一部の機能は新たに開場した京セラドームが受け皿になっている
サッカーファンの考えるサッカースタジアムの複合施設化って一体どういうものを想定しているんだろう

大阪スタヂアム - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%82%E3%82%A2%E3%83%A0

複合娯楽施設として

1972年には隣接する南海難波駅の改修に伴う工事で、両翼を91.4メートルに拡大した。
これは近い将来、サッカーがプロ化され人気が高まるとにらんだ球場側が野球とサッカーの兼用を狙って行ったものであった。

球場のスタンド階下部分にはウインズ難波(中央競馬の場外馬券売場)の他にアイススケートリンク、
卓球場、文化センターなどが設置されており、野球を核とした複合施設として利用された。
テナントとしては古本屋街やスポーツ用品店が入店し、日本自転車振興会やユースホステルの事務所が措かれていた。

文化センターには土井勝の料理教室や、後にK-1をプロモートする石井和義が指導した極真空手の芦原道場などが開校されていた
(この道場には俳優の新藤栄作や天才空手家の中山猛夫も在籍していた)。

特にアイススケートリンクは、1966年にスタートした日本アイスホッケーリーグに1972年まで所属していた
福徳相互銀行アイスホッケー部が練習や試合に使用していた。
また、交通至便な立地から関西では人気スターの公演会場や大規模興行の開催地として定着した。

1960年代にはプロレスの試合会場としても使用され、ジャイアント馬場対ジン・キニスキー、
アントニオ猪木対ジョニー・バレンタイン戦などの伝説的な名勝負の舞台となった。
1950年代にはプロボクシングの試合会場として白井義男のノンタイトルなどが行われた。