■代々木公園への建設案は、観測気球か?

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最終的に新国立競技場は再コンペの形となり、非常に厳しい参加資格のなか、2つのグループの一騎打ちとなり、隈研吾氏と梓設計、そして大成建設のグループが勝ち名乗りを受け、ようやく工事に着手された。だが厳しいコスト制限が条件化されたため、サッカー界の希望であった可動スタンドも、エンターテイメント界の要望であった可動式屋根もはずされた。

これらは稼働率向上のための設備であったため、これらが外されたことにより、新国立競技場のレガシー利用の方向性は不透明になってしまい、今年になって将来のサッカー専用スタジアム化やJリーグクラブのフランチャイズ化、さらには可動式屋根の復活などが議論に上がってきている。ザハ氏は「それみたことか」と天国であきれ返っているに違いない。

こうして東京にはJリーグ開幕、ワールドカップ誘致、そしてオリンピック招致と3度もチャンスがありながら、サッカースタジアムが実現できない、ということになってしまっている。もちろん新国立競技場にそのチャンスはまだ残っているのであろうが、規模縮小があったとしても、そのキャパシティは7万近く、日常的なプロサッカー興行として現実的なバランスとは言えない。

2017年7月には、新聞報道で、23区である渋谷区の代々木公園敷地内に、複数民間事業者がサッカースタジアムを構想し、都側と協議に入っているとの報道があった。まさに新国立競技場の将来活用を球技専用化の方向で検討しているという報道が入った直後のため、この報道は一種の「観測気球」のようなものではないか?(報知新聞1社のスクープで他社の後追い報道がなく、複数民間事業者の情報もほとんどないため)という見方もある。

だが、これも「東京の首都のサッカースタジアムが、巨大すぎてピッチも中途半端に遠く、お世辞にも見やすいとは言えないであろう新国立競技場→(改)球技場で本当にいいのか?という議論が詰まっていないことにたいしての警鐘をならす意味がないとはいえないだろう。

東京の、首都のスタジアムはどうあるべきなのか。いかに首都東京とは言え、プロサッカーの適性キャパシティは大きく見ても5万程度だろう。そして、そこをFC東京が使うにしても、東京ヴェルディ1969が使うにしても、サッカー日本代表の国際試合が開催されるとしても、「東京ならでは」のアイデンティティがないと、ウェンブリーのように永くは愛されないだろう。

もちろん採算は度外視することはできない。ただ、それよりも必要なのは、政官財界と、サッカーを愛する都民の「シンボル的なスタジアム」への熱意を表に出すこと以外にないと思われる。それはいつの日にか、「コスト」問題を凌駕すると、筆者は信じてやまない。

(おわり)