慶應大学 1929, ロックフェラー財団寄付により、予防医学校舎竣工
まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、
口ックフェラー財団から建物・設備が寄贈されたのが始まりである。

ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、
ハーバード大学に留学、帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」
と呼ばれている。

1958年にはABCCの疫学部長に就任している。
この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。