戦前から続き、来年に100回目を迎えようかという伝統ある全国高等学校野球選手権大会ですが、プロ野球にはない問題点も、
高校野球にはあることが、近年では指摘されています。

 一つは以前からも議論されてきたことですが、ピッチャーの連続登板問題です。限られた部員数の中で、各高校がエース級の
ピッチャーを確保するのは難しく、各校に一人いれば良い方でしょう。リリーフがいないので完投するしかなく、一人の選手の肩に
大きな負担がかかります。準決勝、決勝ともなれば、連日連投を強いられる過酷なスケジュールとなります。

 プロ野球のように中2日開けて登板、という訳にはいきません。この連日連投が、成長期である高校生ピッチャーの肩に悪影響を与え、
選手寿命を縮めるのではないかという声もあります。2013年より準々決勝と準決勝の間に休養日を入れ、3日連続登板という事態は
避けられるようになりましたが、根本的な解決は難しそうです。

 ところが賛否両論どころか、問題にもしないメディアがあります。夏の甲子園大会を主催する朝日新聞社です。高校野球に関しては、
ひたすら美談を感動的に新聞記事にします。朝日新聞にとって夏の甲子園は、販売促進のための「キラーコンテンツ(最大の目玉商品)」
であり、批判することはタブーなのです。

 何事にも両論併記で、リベラルを自認する朝日新聞が、自社内にこんなタブーを抱えているとは、意外な盲点ですが、これほどまでに
朝日新聞が高校野球に肩入れするのはなぜなのか。それは圧倒的なメリットが、高校野球から得られるからではないでしょうか。

 新聞社が、野球などの国民的スポーツを売り物にするのは、別に珍しいことではありません。読売新聞には読売ジャイアンツといった例を
引き合いに出すまでもなく、今では多くのマスメディアが、スポーツの大会を主催したり後援したりしています。しかし、それらとは一線を画した
新聞社にとって特別に有利な要素が、日本の高校野球には少なくとも三つあると私は考えています。

第一に選手たちが全員高校生ということで、純真でクリーンなイメージを、読者に鮮烈に植え付けることができます。紙面ではフェアプレイを強調します。
それは新聞社として販売部数を伸ばすという意味よりも、むしろ自社の記事に対して無意識のうちに信頼感をもたせるという、潜在的に心理を操作する
効果の方が大きいと言えそうです。

 第二にお金がかからないという点で有利です。選手への高額な報酬など、球団の維持費を気にする必要はありません。アマチュアですから練習に
必要な部費の調達は各学校がそれぞれ負担します。大会中の甲子園球場の使用料も阪神電鉄からの無償提供です。甲子園までの出場選手の
旅費は支給しますが、入場料収入でまかなえる程度だそうです。

 第三に47都道府県全てから代表校が出場するシステムにより、全国津々浦々に至るまで、それぞれの地域の人々の郷土愛を引き出せる点が挙げられます。
全国紙として地方への販路拡大は苦心するところですが、地元代表校の活躍ぶりを書き立てるだけで、全国47都道府県の購読者の心をつかむことができるとすれば、かなり有利です。

こうした日本の高校野球のみが持つ、独特のメリットをフルに生かして、朝日新聞は夏の甲子園とともに、また毎日新聞は春の選抜甲子園とともに、
それぞれ全国的に購読者数を伸ばしてきたと言えるでしょう。

 マスコミ各社が、スポーツの情報を提供し、国民の娯楽としての需要を満たすのは大いに結構なことです。娯楽を目的として存在するプロスポーツにおいては、
マスコミとの関係は車の両輪であり、協力し合わなければ成り立ちません。マスコミにはビジネスとしてスポーツ業界を発展させる使命さえあると言えるかもしれません。

 しかしそれはプロスポーツのビジネスモデルであって、高校野球の場合はそもそもの理念、目的からして全く異なります。高校野球の目的は「青少年の健全な育成」
であることを絶対に忘れてはなりません。結果的に人々に娯楽をもたらすことがあっても、決してそれは目的にはなり得ません。あくまでも教育の一環として認識することが大切です。

 主催する朝日新聞社、毎日新聞社には、今一度その原点に立ち返ってもらいたいものです。この時期になると、高校野球以外にニュースはないのか、と思われるほどの
朝日新聞紙面の過熱ぶりには違和感を覚えます。高校球児たちの純粋な汗と涙を、大人の娯楽産業として汚すことのないように、商用利用は極力慎むべきだと私は考えます。

http://ironna.jp/article/7382?p=1