円谷幸吉の遺書 27歳

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。
干し柿、餅も美味しゆうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。

巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。
喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。
モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、
お気を煩わして大変申しわけありませんでした。

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、
みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。

父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。
何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申
しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

川端康成は、『円谷幸吉選手の遺書』において、「繰り返される《おいしゅう
ございました》といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。
そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、悲しいひびきだ」
と語りました。さらに「ひとえに率直で清らかである。おのれの文章をかへりみ、
恥ぢ、いたむのは勿論ながら、それから(川端)自身を問責し絶望する」、
そして「売文家の私はここ(幸吉の遺書)に文章の真実と可能性を見えたこ
とはまことであった」と文豪川端康成を感嘆させました。

《多香子へ/ありがとう そして さようなら/子供が出来ない体でごめんね/
本当に本当にごめんなさい。/幸せだった分だけ、未来が怖いから 
何も無さそうだから/許してください。/僕の分まで幸せになってください。

/きっと阿部力となら乗りこえられると思います。
/次は裏切ったらあかんよ。
お酒は少しひかえないとあかんよ。/
嘘はついたらあかんよ。
/多分、僕の事を恨むでしょう? でもいつかは許してくださいね/

最後はいろいろと重荷になるけど…ごめんなさい。
/これが、未来を考えた時の僕のベストです。ワガママを許してください。

/いつか忘れる日が来るよ。きっと大丈夫 今から大変だろうけど
/がんばって トントンとお幸せに
/車は開けないで 警察を呼んでください。》