X



【芸能】コーン、BABYMETALとの共演映像を公開 [無断転載禁止]©2ch.net

レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001きゅう ★@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/12(土) 07:57:58.43ID:CAP_USER9
コーンが木曜日(8月10日)、6月にギタリストのブライアン"ヘッド"ウェルチがBABYMETALと共演したときのオフィシャル映像を公開した。
◆ブライアン"ヘッド"ウェルチ&BABYMETAL動画
https://www.barks.jp/news/?id=1000145638&;page=2


BABYMETALは、コーンとストーン・サワーが6月中旬から8月初めにかけて北米で開催した<The Serenity Of Summer>ツアーの前半の日程に参加。
ヘッドは6月25日、同ツアーでのBABYMETALの最後の公演(アイダホ州ナンパ)で、彼女たちのパフォーマンスにサプライズ出演したそうだ。
彼はBABYMETALのバンドと同じように白塗りのメイキャップをして、ステージに飛び出して行った。
Head x @BABYMETAL_JAPAN???? #korn #babymetal #serenityofsummer #korn17 pic.twitter.com/MdRwmeq1Za ? Korn (@Korn) 2017年8月10日
BABYMETALは公演直後、このとき撮影された集合写真をTwitterに投稿していた。
https://twitter.com/BABYMETAL_JAPAN/status/879154380636684289/photo/1

月2日にストーン・サワーとの北米ツアーを終了したコーンは、休むことなく、今週からヨーロッパ・ツアーを開始。BABYMETALは来週、<SUMMER SONIC 2017>でプレイする。

https://okmusic.jp/news/198055
0975名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:25:34.33ID:vOqWuB940
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/b/e/be5f0058.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/1/c/1c704c55.jpg
http://hot-fashion.click/wp-content/uploads/2016/02/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%A37.png
http://masamasa45nt.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_35f/masamasa45nt/m_images20(1)-b2189.jpg
http://dokumushi.pw/wp-content/uploads/2015/03/namekuji1.png
http://blog-imgs-79.fc2.com/m/i/d/midomidotacnet/20150723230346548.png
https://pbs.twimg.com/media/B0uUY8ICAAEmJkp.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Bm8RqnQCUAAo2Hv.jpg
http://i.imgur.com/Mabi5iI.jpg
http://i.imgur.com/v9Xb9lB.jpg
0976名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:25:49.74ID:vOqWuB940
http://i.imgur.com/zPMKc6M.jpg
http://i.imgur.com/ryOlnAv.jpg
http://i.imgur.com/07PXB22.jpg
http://i.imgur.com/PovVEOK.jpg
http://i.imgur.com/oyz4Bvn.jpg
http://i.imgur.com/xV4IhXJ.jpg
http://i.imgur.com/IofnPzs.jpg
http://i.imgur.com/SdRpwXO.jpg
http://i.imgur.com/3YbgEFL.jpg
http://i.imgur.com/32Qzz2a.jpg
http://i.imgur.com/lMCLS3J.jpg
http://i.imgur.com/wzcBlWt.jpg
http://i.imgur.com/fJRjMfl.jpg
0977名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:26:02.29ID:vOqWuB940
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c3-67/novice14sight/folder/540622/83/12838483/img_0
http://up.gc-img.net/post_img_web/2015/01/d7e9245a91848d2db393712605eb6f80_5446.jpeg
http://blog-imgs-51.fc2.com/n/e/k/nekku2008/20130104155954735.jpg
http://blog-imgs-51.fc2.com/n/e/k/nekku2008/20130104155951ade.jpg
http://blog-imgs-86.fc2.com/n/e/w/newsnoma/2015102800542709d.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/68854bc4.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/ea547f2e.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/20110803150208052.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/baka_1.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/img_623074_20711365_2.jpg
http://img01.hamazo.tv/usr/h/i/n/hinomarukai/baka_1.jpg
http://hannichiidentity.pa.land.to/teimindo/12417698330001u.jpg
0978名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:28:47.65ID:vOqWuB940
◇半分、正しくて、半分、間違っていた
1991年4月27日土曜日、私は2歳年下の弟を自殺で喪った。
「軽い精神分裂病(現在の統合失調症)の初期」と診断されて3週間経つか経たないかの出来事だった。

精神科病院に入院中だった彼は、週末の一時帰宅のため、前夜から実家にいた。
私は当時、新米の美術館学芸員として土日もなく深夜まで働く日々を過ごしていたが、その日は夜には出勤する約束でオフをもらい、弟に会いに行くことになっていた。
だが、午前中から昼にかけて別の用事を二つほど済ませ、午後半ばに実家に辿り着いた時にはもう遅かった。弟は私を待っていてはくれなかった。
前夜に母に「死にたい」と打ち明けた彼と、久しぶりの空き時間にほっと一息ついていた私の時間の流れは、違っていたのだ。

弟は、夜遅くに両親に伴われ、警察から白木の棺に入れられて戻ってきた。「損傷が激しい」という理由で、私は遺体に会うことも許されなかった。
その夜、両親の部屋で(両親は別室で棺に付き添って寝た)一睡もできずに考え続けるなかで、私は3つのことを決意した。

「自殺や精神疾患をstigmatizeもromanticizeもしない。差別も聖別もしない。だから、精神分裂病と診断されていたことも含め、決して隠さない」
「(弟の死にまつわるすべてのことを)決して後悔しない」
「90歳で老衰で死ぬのも、24歳で自殺で死ぬのも、死という意味では等価であると思う」

人は必ず死ぬ。生きていれば、人の死に遭遇するのも避けられないこと、当たり前のこと、ありふれたこと。特別なことじゃない。
自殺だからと言って、苦悩の末のヒロイックな悲劇のように語りたくも、語られたくもない。精神疾患もまた、生きていればかかり得る、ありふれたもの。
特別なことじゃない。「狂気」などというものものしい言葉を使って、あたかも繊細で鋭敏な感受性の帰結のように語る言辞は、拒否したい。

つまり私は、日々、起こる諸々のことと同じように、それらと同等のものとして、弟の死を淡々と受け止めようとした。
いま思えば、その後、起こり得ることを直感的に察知して、そう決心することで、自分の感情にロックをかけようとしたのだろう。
この私の決意は、半分、まったく正しくて、半分、徹底的に間違っていた。でも、その半分の間違いに気づくのに20年以上の歳月と自分自身の精神疾患への罹患が必要だった。
10年近く頑なに決意を守り続けたあと、2000年に精神科に通わなければならなくなって、初めて弟の死をめぐる自分の感情に向き合い始め、
それからまた10年近くかかってようやく治療のなかで本当の意味で語れるようになり、そしてさらに年単位の時間をかけて、
やっと自分は実にたくさんのことを深く、深く後悔していたのだと認められるようになった。

弟の自殺は、確かにこの世の中で数限りなく起こっている出来事の一つ、ありふれたことだった。また、スティグマ化されるべきものでも、ロマンティックに語られるべきものでもなかった。

でも、私にとってはとてつもなく大きなことで、一生かけて向き合い、考え、抱えていくような性質のものだった。そして弟にとってもまた、ありふれた、よくある、しかし、命を絶つほどに苦しい状況だった。だから死んだ。

◇困難を外に出して初めてわかること

「支援とアート」というテーマで依頼されたこのテキストを、遠い過去の思い出から始めたことをどうか許していただければと思う。

精神障害や疾患、トラウマ、あるいは何と名指されなくてもさまざまな困難を抱えて生きる人(むろん私もこれを読んでいるあなたも含めて)の表現(注1)について考える時、
あの夜、眠れぬ頭で必死に考えていた私が心から望んだことと、それゆえに誤ったことをどうしても思い出してしまうのである。

望んだのは、偏見やその裏返しとしての過度の空想化、ロマン化に陥らずに、目の前の出来事をとらえること。しかし、特別視を避けようとするあまり、そのことの個にとっての意味や重みを取り逃してしまった。
振り返ればそれは、受けとめきれないほどの大きな衝撃のなかで、衝撃自体を否認するためでもあった。
0979名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:30:42.81ID:vOqWuB940
あることの個にとっての意味や重みを測ることは、とても難しい。とくに、わけもわからないまま困難なことに巻き込まれ、すっぽり呑み込まれて、自らの内も外も区別できずに溶け込んでしまっている状態(注2)だと、
それが大変なことだとまず本人がわからない。ただしんどい、苦しい、うまくいかないと感じるだけで、何がしんどいのか、何に困っているのか、その輪郭も中味もわからなければ、大変なことだと認識さえできないのだ。
そして、大したことない、なんとかできない自分が悪い、等々と思ってしまう。

大変だとわかるには、困難に呑み込まれ溶け込んで内も外もわからない状態から、自分と困難を分け、困難を外に出して、眺め、それが何だかを知ることが肝要である。
「外に出す」とは「表現する」ことであり、表現して初めて、眺めることが可能になる。このそれ自体、難しいことを一人でやり遂げるのは不可能ではないが、表現の受け取り手として、
表現すること自体を触発し、可能にする他者の存在があれば、大きな助けになる。

私は、上に書いた通り弟の自殺を決して隠さないと決め、近しくない相手に時候の挨拶とほとんど変わらない調子で「ごきょうだいは?」と聞かれた場合でも、
「弟がいたけど、自殺で死にました」とぶっきらぼうなまでに直截に答えていた。しかし、そこには一切の感情が伴っていなかったし、ほとんどの相手は絶句するので、話がそれ以上、進むこともなかった。

反対に感情があふれ出てきた時は、まったく言葉にならず、ただ号泣するしかできなかった。自身が治療を始めてからは、治療者たちや稀にそれ以外の人にそれなりに長く話すようになったが、
やはりあまり感情が出てこなかったし、取り乱すこともなかった。

だが、5年前にグループセラピーで初めて、同じくセラピーを受けている数名の当事者を前に「弟は自殺した」と切り出そうとした時、それまでとはまったく違うことが起こった。
言葉を絞り出そうとしても出てこず、治療者の助けを借りてなんとか話し始めると、自分でも驚くほどにどんどんと感情が湧いてきた。

そして、一通り語り終えた時には、身体が自分では支えられないほどぐったりと重くなっていて、椅子に座ったまま腰から二つ折りになり、前のめりにぐにゃりとくずおれてしまった。

弟の死をめぐる感情と言葉が、死後20年経って、初めて絡まり合った瞬間だった。そうして初めて、感情と言葉がつながることが、どれほど――身体が支えを失い、
地の底に引きずられるように重くなるほど――大変なことだったのかを理解した。だから、感情と言葉を切り離さなければならなかったのだ。

これは、切り離して、なかったことにしていた感情を言葉とともに「外に出す」すなわち「表現」して初めてわかったことであり、その「表現」は受け取り手がいて初めて可能になった。
それ以前に治療者たちを前に話をしていた時は、もしかしたら感情を置き去りにしたままでも了解してもらえると、言葉をただ投げ出して平気だったのかもしれない。

しかし、自分と同じような、それぞれに傷つきと痛みを抱えた当事者、すなわち仲間の存在を受け取り手として感じた時、ぺらぺらの言葉でも、感情の大爆発でもない、二つがつながった、
不完全でも全体性を備えたものを差し出す、何か責任のようなものを私は感じたのではないだろうか。それで、それまであいだを塞いでいた見えない隔壁になんとか通路を開けて、
感情と言葉をつなごうともがいたのだ。

この時、私は、自分の語りが十全に受けとめられたと感じたわけではなかった。20年間、ばらばらだった感情と言葉を途切れ途切れにつないで吐き出したのだから、
受け取る方も受け取り切れなくて当然だっただろう。私にはすべてのエネルギーを使い果たしたような疲れと、何か違うという漠然とした苛立ちが残った。

しかし重要なのは、「表現したもの」がその場で丸ごと理解され、受けとめられることではなく、そのようにつないで「表現」として出す場がたとえ一度でもあったこと、
そして、他者のいるその場の光景が自身の身体の感覚とともに記憶に残ることである。その記憶は、その後の「表現する」ことを支える拠り所となるだろう。
実際、私はこの時をきっかけにして、弟の死をめぐるグリーフと本気で向き合えるようになった。
0980名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:31:29.71ID:vOqWuB940
高校3年、受験を控えた冬。進路への不安をこぼすと、母は「あんたなら出来るよ。やれるだけやってみな」と返してくれた。
そして、「お金ばかりかかってごめんね」と謝る私に、母は小さなため息をつき、穏やかな笑顔で言った。「あんたも親になれば分かるよ」と。そんな日が来るのだろうか。
遠い未来に想いを馳せつつ、母と、私と、まだ影も形もない子どもと,3世代が並ぶ光景を想像して、少し照れ臭いような、温かな気持ちになった。

あれから干支が一回りし、私も2児の母親になった。
しかし、私の母が孫を抱くことはなかった。

 大学4年、就職活動盛りの春。母は自らいのちを絶った。遺書はなかった。
唐突に突きつけられた現実に、葬儀前後のことはよく覚えていない。唯一、脳裏から離れないのは、涙声で私の身体を気遣う、電話越しの母の声だ。母が息絶える直前に会話をしたのは、私なのだ。

 母とはよく話をした。地元を離れてからも毎週欠かさず電話をし、ありふれた会話をたくさん交わした。お日様のように明るかった母の声色が変わったのは、最期の一年だ。
職場の配置転換をきっかけに、母は電話口で泣くことが増えた。それだけでなく、親族との死別、子どもの巣立ち、自身の更年期。振り返れば、あの年は色々なことが一気に母に降りかかったのだと思う。
恐らく母はうつだった。しかし、当時の私はそれに気がつくことができなかった。遠方で学生生活を送っていた私にできることは少なく、ただ母の話を聞き、母の気持ちが落ち着き次第、受話器を置くようなことが幾度とあった。
0981名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:32:07.23ID:vOqWuB940
 あの日は、土曜日だった。
いつものように母からの電話を取ったものの、泣きじゃくる母の言葉が聞き取れず、全く会話にならない。
少し時間を置けば母の気持ちが落ち着くと思い、私は一旦会話を終了させる提案をした。この判断が今でも悔やまれる。
「身体に気をつけて・・・」やっと聞き取れた、振り絞るような母の声。それが、母の最期になった。数時間後、仕事から自宅に戻った父が、変わり果てた母の姿を見つけることになる。

 母が最期に助けを求めたのは、私だった。
すがるような思いで、私に電話をかけたのだろう。
けれども、私はその思いに応えることができなかった。助けることができなかった。
果てしない後悔が私を蝕み、絶望感を抱えながら、社会人になった。

 幼い頃から憧れた教職に就いたものの、母の一周忌を過ぎた頃から、私は体調に異変を感じていた。それでも、と力を振り絞って日々を送っていた矢先、担当学年の生徒を自殺で亡くし、遂に自分の存在価値が分からなくなった。
心身ともに不安定な日々が続き、勤めて数年も経たぬまま、リタイアを決意する。辛かった。家族を亡くし、職を無くし、自分にないものばかりがよく見えた。母親と街を歩く見知らぬ人が、羨ましくて仕方なかった。
0982名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:33:13.17ID:vOqWuB940
 私の大きな転機となったのは、結婚をし、子どもが生まれたことだ。人は1人では生きられない。
ふやふやの赤ん坊の世話をしながら、自分がいかに周囲に守られ、大きな愛で育ててもらったのかを知った。
そして、亡くなった母が望むのは、懺悔ではなく、私自身の幸せなのではないかと思うようになった。言葉にすれば当たり前かもしれないが、
自分自身が母親としての視点を得たことで、リアリティを持って母の思いを想像するようになった。
その後、私は自殺対策に取り組む民間団体に所属し、様々な自死遺族の方と出会った。
「自殺で家族を亡くす」点は共通していても、人の人生は一人ひとり違う。いのちとは、どれもが尊く、唯一無二のかけがえのないものだと、まじまじと思い知った。

 時間の流れは残酷で、大好きだった向日葵のような母の笑顔も、だいぶと遠くなった。
日常生活は絶えず動き、様々な波がやってくる。けれども、今でも変わらず私を突き動かしているのは、「あんたなら出来るよ」という、耳の奥に残る母の口癖なのだ。母は私の中に、勇気づけの芽を遺してくれた。

 願わくば、私も母を勇気づけたい。その存在を全力で肯定したい。母の代わりは、この世界中のどこを探してもいないからだ。
人は生きているだけで、誰かを幸せにしている。私は、母にただ生きていて欲しかった。けれども、その母はもういない。
それならば、今の私にとって大切な人達や、これから出会う人に寄り添い、まるっと受容した生き方をしたい。傷は癒えても、決して消えることはない。
それでもいいのだと、12年の歳月を経て、ようやく思えるようになった。自分の足で、一歩ずつ。これからも生きて行こうと思う。
0983名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:34:54.95ID:vOqWuB940
事件1 [神奈川県厚木市理玖ちゃん所在不明餓死事件]
2014年5月31日、神奈川県厚木市のアパートの一室で子どもとみられる白骨遺体が見つかった事件で、
食事や水を十分に与えず、約7年前に男児の斎藤理玖ちゃん(当時5歳)を餓死させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで父親が逮捕された事件。
理玖ちゃんは3歳当時朝の4時半に路上にいたところを警察官が保護し、児童相談所に迷子として保護され、その後3歳6月乳幼児健診未受診でありながら、
警察、児童相談所、厚木市ともその後の安否確認を一切行わないまま放置し、その間母親は家を出、同居していた父親から食事を与えられず、5歳当時餓死させられた。
その後就学年齢になりながら小学校に入学しなかったにもかかわらず、最初に把握してから10年間の長きにわたり児童相談所、
厚木市ともまともに探しもせず、警察に届けもせず放置していた。理玖ちゃんが中学校就学年齢になりながら中学校に入学せず、
厚生労働省から所在不明児童の調査要請があったことから、児童相談所がようやく警察に相談したことから発覚した。

→警察、児童相談所が迷子というよりもネグレクトの疑いが強い事案で保護した後、ほったらかしにせず、さらに、
厚木市が乳幼児健診未受診であったことを把握した時点で、警察、児童相談所、厚木市のいずれかの機関が理玖ちゃんの安否確認をし、一時保護を含め適切な対応をすれば、殺害されることは防げた
→厚木市・教育委員会、児童相談所が小学校に入学していないことを把握した時点で、警察に捜索届を出し、警察が捜索すれば、早期に殺害されていたことを発見できた。
0984名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:35:28.93ID:vOqWuB940
事件2 [東京都葛飾区愛羅ちゃん虐待死事件]
2014年1月30日、東京都葛飾区で坂本愛羅ちゃん(2歳)が肝臓損傷で失血死し、ろっ骨が折れ、40か所も体にあざがあり、父親が逮捕された事件。
児童相談所は愛羅ちゃんを「見守り中」であったが、児童相談所から警察に情報提供はなかったため、殺害される5日前に110番通報で臨場した警察官が「夫婦喧嘩です」という親の嘘に騙され、40か所もあったあざを確認できず、虐待と認識できなかった。

→児童相談所から予め「見守り中」との情報提供があれば現場に赴いた警察官はより慎重に虐待の有無を調査でき、親に騙されることなく虐待を見抜けた
→虐待を見抜けていれば、法律上警察が子どもを保護することができるという制度であれば、警察が保護することにより殺害されることは防げた

事件3 [豊橋市望玲奈ちゃん虐待死事件]
2013年12月、豊橋市で当時7カ月の望玲奈ちゃんを父親が体を強く揺さぶるなどの暴行を加えて虐待死させたとして父親が逮捕された事件。
2012年2月、病院に入院していた双子の乳児の紅玲愛ちゃん(姉)が、病室で父親が一人で看護中硬膜下血腫という傷害を負い、医師が虐待の疑いが高いと判断したにもかかわらず、
双子の妹である望玲奈ちゃんを児童相談所が一時保護せず、退院を認め自宅に戻し、その5ケ月後に望玲奈ちゃんが殺害された事件。姉の紅玲愛ちゃんも2013年7月入院したまま病院で死亡している。

→児童相談所が医師の専門的判断に従っていれば、殺害されることは防げた
0985名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:40:20.34ID:vOqWuB940
0986名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:40:47.93ID:vOqWuB940
0987名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:41:03.17ID:vOqWuB940
0988名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:41:18.65ID:vOqWuB940
0989名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:41:30.29ID:vOqWuB940
0990名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:42:43.05ID:vOqWuB940
なんか最近上手くいかねーんだよな。
0991名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:43:53.42ID:vOqWuB940
^ サーカムフレックス。行頭を意味します。
( 後述します。半角のパーレンです。
第 第
\d 数字です
+ 直前の文字が1回以上繰り返し
節 節
. 半角ピリオドは任意の一文字(改行含まない)
) 後述、半角パーレン(閉じ)
\t はタブ
( 後述
\d は数字
+ は直前の文字が1回以上繰り返し
) 後述
0992名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:44:53.53ID:vOqWuB940
いよいよ10月24日に第1巻「あの死神を撃て!」が発売される『MS IGLOO2 重力戦線』。今回は『U.C.HARD GRAPH』シリーズと共通性を含め今西監督にお話いただきました。

――今回の『MS IGLOO2』も『MS IGLOO』と同様にフルCGで描く作品ですが、『MS IGLOO2』一番大きな違いは何ですか。

今西:CG技術も日々進歩しておりますし、また、「2もの」とはいえ、別作品の意識で制作しております。
一番、異なる点は、地上の物語であり、「重力」が表現の裏側に絶えず存在することですね。
「重い・・・・・この奈落はさながらに・・・・・」と、劇中でのたうつキャラクターが登場しますが、我々、スタッフの仕事も、ドラマ作りも、全て「重い」です。

――今回は『U.C.HARD GRAPH』シリーズと共通のコンテンツとして構成されているとのことですが、具体的にどんなことでしょうか。
また、今回地球連邦の話と言うのもそのあたりとの兼ね合いがあるのでしょうか。

今西:「U.C.HARD GRAPH」シリーズは、プラモデル商品化企画ですが、旧「MS IGLOO」と同様に、注目を浴びない脇役的なメカを発掘し、リアリティーを高め、ガンダムワールドの裾野を拡げる目的を持っています。
「U.C.HARD GRAPH」と「MS IGLOO」の相性が良いのは当然と言えるでしょう。
また、仕事上の面でも、3DCGムービーという「立体」と、3DCADによるプラモデル設計は、極めて共通項が多いのです。「MS IGLOO 2 重力戦線」では、この「立体の相互乗り入れ」を多用しています。
プラモデルの形状そのままのメカたちが活躍するわけです。

「MS IGLOO 2 重力戦線」が、地球連邦軍側から描いた作品となっていますが、これについては、今西の独断的な企画ではありません。
作品企画作業には、多くの方々が参加しており、先程も書いたように、まさに「コラボレーション」企画であります。
さて、「機動戦士ガンダム」は、実は、「ジオン、驚異のメカ」によって支えられている番組です。一度、地球連邦軍とジオン軍の登場メカ体数を数えてみて下さい。
ガンダムが、ばったばったとジオン軍メカをはったおす! その醍醐味であります。
しかし・・・・・、それがゆえ、地球連邦軍のメカは貧相です。注目を浴びない脇役的なメカを発掘するのであれば、本来は、地球連邦軍メカなのであります。
このような、様々なコンセプトが混じり合って成立した作品が「MS IGLOO 2 重力戦線」と言えるでしょう。
0993名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:45:52.34ID:vOqWuB940
焼身自殺は苦しい。皮膚を100%火傷しても即死できずに病院に運ばれ、そこで半日程度もがいたあと、ようやくこと切れることも

多い。死にきれなかった場合の後遺症は、他の自殺手段とは比較にならないほど悲惨だ。ごく普通に死にたい人には絶対に薦め

られない。

ただしあなたが世間になにかを訴えるために死にたいのなら、焼身自殺ほど影響力の大きいものもない。かつては、ベトナム戦争

中に政府に反対して死んだ僧侶、韓国で同じく反政府運動として自殺した学生、日本では底辺労働者の待遇改善を訴えた釜ヶ崎

共闘会議幹部と、どれも焼身自殺によって世間の注目を集めた。たしかに炎に包まれながらメッセージを叫び続ける姿は壮絶だ。

意志の強さや死ぬ覚悟の固さをアピールするにも最適である。86年の「真理の友教会」の死んだ教祖を後追いした女性信者7人

集団自殺も焼身自殺だった。

こんな焼身自殺をする人は少ないだろうと思いがちだが、人数は年々増え続け、今では年間約700人にものぼる。感電自殺より

も圧倒的に多い。また現在の診断基準では、自殺者全体の3分の1が”狭義”の精神病患者であると言われるが、特に焼身自殺

を図る人には精神障害者が多いとも言われている。
0994名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:46:36.26ID:vOqWuB940
準備  5?がセーフティ・ゾーン


当然ガソリンか灯油を使うことになるが、何?かぶったらいいのか?

全身の20%の皮膚を火傷しただけでも全身性のショックを受けるが、死ぬためには全身ガソリンまみれになるのにこしたことはな

い。2〜3?の灯油で炭化して原型を留めていなかった女性もいるが、やはり万全を期して最低5?は用意しておこう。

これだけかぶれば普通黒焦げの死体となる。ちなみに「真理の友教会」の信者たちがかぶった灯油は、ひとり18?で、火は2時間

以上もたって発見されたときもまだ消えていなかった。

ガソリン、灯油は全身が覆われるように、少しずつすくって体にかけるのが無難だ。衣服はよく燃えるので、たっぷりとしみ込ませ

ること。灯油が目に入るとしみて痛み、目が開けられなくなることもあるが、そんなことを気にしていては焼身自殺はできない。

火災が心配なら下に耐熱マットを敷いておけば、部屋のなかで横になって燃えても火事にならない。

わざわざ焼却炉のなかに入って、灯油をかぶり焼身自殺した48歳の主婦もいたが、ここまでする必要はない。女性週刊誌の格好

のネタになるだけだ。

無事にガソリンをかぶったら、準備しておいたライターかマッチで運命の点火をする。メッセージのある人は、パニック状態に陥っ

て忘れてしまわないように、事前にしっかりと頭のなかに叩き込んでおこう。

また部屋中にガソリンをまいて、家ごと燃やして焼死してしまうという手も意外に多く使われているが、これならより苦痛の少ない他

の手段を選んだほうがいい。人が燃えている姿を見せることこそが、焼身自殺の最大のメリットなのだ。
0995名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:47:12.28ID:vOqWuB940
経過  3mの火柱を上げろ!


火の勢いは想像以上に激しい。点火すると、ガソリンや灯油の勢いでボボーと音がして2〜3mも火柱が上がると言われる。炎に

包まれた体には激痛と灼熱感が走り、耐えきれずに地面を転げ回ることもある。周囲は人肉の焼ける異臭に包まれる。ここで狂

乱状態になったり、ショック死してしまうこともあるが、たいてい意識は明瞭だ。気管は熱気を吸入して熱傷を起こすが、発声も可

能。

衣服が燃え尽きるとやがて火は消えてしまうが、それでもまだ自力で立っていたり、叫び続けたりすることもある。

火が消えた後、皮膚の3分の1以上が壊死すれば50%が、3分の2以上ならほぼ全例が死ぬことになるが、死ぬまでの時間は

まちまち。全身の皮膚が炭のように黒焦げになればその場で死ぬが、発見されて火を消され救急車で病院へ運ばれれば、

そこで身動きもできずに苦痛を味わいつつ死を迎えることになる。半日から24時間、あるいは5日や10日たってようやくこと切

れる場合もある。ベトナム戦争反対! と訴えかけて焼身自殺したアメリカの82歳の婦人は、10日間も意識が明瞭なまま生き

延びてしまった。かぶったのがよく燃えないアルコール性洗剤だったのがよくなかったのかもしれない。

焼身自殺による死因はショックや酸欠、高熱による重要な臓器の熱凝固などである。
0996名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:47:47.36ID:vOqWuB940
死体状況  皮膚がはじけて赤い肉が覗く


死体のむごたらしさでは、鉄道自殺に次ぐものだろう。

きちんとガソリンを5?以上かぶって火をつけ、誰も火を消しに来なければ、皮膚表面は部分的、あるいは全面的に炭化して、髪の

毛は焼失する。こうなるとただの人の形をした炭だ。皮膚がはじけて、なかの肉が赤く覗いていることもある。もともと人の体はほと

んどが水分からできているので、皮膚が炭化しても肉は焼けにくいのだ。

姿勢は筋肉の収縮によってボクサー型姿勢をとるのが特徴的。壊死していない皮膚には水泡ができて、その色は黄色から茶褐色

、黒色に変化する。目の角膜は白く濁り、赤い舌を突き出している場合も多い。
0997名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:48:23.95ID:vOqWuB940
注意  ケロイド地獄にはまるな!


もっとも恐れなければならないのは、一命をとりとめ、顔や全身にハデな火傷跡を残して生き延びねばならなくなることだ。

ある女性は灯油を全身にぐっしょりとかぶってマッチで火をつけたが、未遂。3年の闘病生活の末、全身ケロイドだらけとなり、5回

の顔面整形手術をしてもケロイドは消えず、唇もなくなって口を大きく開けることさえできなくなったという。

しかも他の手段の未遂者が再企図することが多いのに対して、焼身自殺の場合は、きわめて過激な手段を取り重篤な状態から回

復したことによってカタルシスが得られるためか、再び自殺を試みる者が少ないと言われる。皮膚移植などによる治療費も莫大な

額に及ぶ。

こうならないためには最低でも5?はガソリンをかぶり、まわりが火を消しにきたら「近寄るな!」と一喝すること。それでも未遂が恐

ければ、他の方法と併用すればいい。自分をふった女を殺した24歳の男性は、母校の大学の10階建て校舎の屋上でガソリンを

かぶり、飛び降り自殺した。しかしここまでしなくても、焼身は十分に致死度の高い自殺手段なのだが。

とにかく焼身自殺は苦痛に満ちた死に方である。即死できないことくらいは頭に置いておこう。死に方はその人の好き好きだが、

ひとりでひっそりと死ぬなら別のやり方をお薦めしたい。ただしあなたがこれまでさえない人生を送り、死ぬときくらいはひと花

咲かせたいと思うなら話は別だ。
0998名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:49:23.45ID:vOqWuB940
労働条件改善を訴えて自殺した韓国の青年


70年11月、韓国のソウルの平和市場内で、劣悪な労働条件下で働いていた裁断師の青年ジョン・テイル(当時22歳)が、労働

条件改善を求めて焼身自殺した。

彼はそれまで労働条件改善のための運動に携わっていたが、挫折が続き、ついに11月13日に阻止されていたデモを平和市場

内で強行。デモ参加の労働者と、警備隊、警察隊がもみあうなか、彼は仲間たちから少し遅れて広場に現われ、仲間に「マッチを

すって俺に投げつけてくれ」と要求。マッチが投げられると、彼の全身に火柱が立った。さらに火だるまになって火炎を呼吸しなが

ら群集のなかに分け入り、「労働基準法を遵守せよ!我々は機械ではない!日曜日は休ませろ!労働者たちを酷使するな!」な

どと叫び続け、最後に悲鳴をあげて倒れた。しかし彼は再び立ち上がり、「私の死を無駄にするなあ!」と絶叫した。目も鼻も焼け

ただれていた。そしてすぐにその場に倒れ、意識を失う。これから3分後に仲間が火を消した。メディカルセンターに運び込まれた

彼は、「おなかがすいたよ……」とつぶやいて、9時間後の夜の10時すぎに息を引き取った。

彼の焼身自殺は後に「人間宣言」と名づけられ、今も語り継がれているという。
0999名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止
垢版 |
2017/08/15(火) 05:50:22.22ID:vOqWuB940
このスレッドは過去ログです。
2ちゃんねるプレミアム会員に登録すると続きを読めます。

───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 2ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 2ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────

会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。

▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
http://premium.2ch.net/

───────────────────
2ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
10011001
垢版 |
Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
life time: 2日 21時間 52分 31秒
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

ニューススポーツなんでも実況