SANKEI DIGITAL INC.2017.8.8 11:00

 第19回は、プロボクシングのWBC世界バンタム級王者で国内歴代2位の12回連続防衛を誇る山中慎介(34)=帝拳=が登場。「ゴッドレフト」と呼ばれるカリスマファイターだが、二十歳のころは「ダメ人間」だったという。今月15日に具志堅用高が持つ国内最多の13回連続防衛記録に挑む世界戦を前に、“暗黒時代”だったとしてほとんど語ることがなかった青春時代を赤裸々に明かした。



 本当にダメ人間だった。二十歳のころの自分は。当時は大学生だったけど、いま思い出しても恥ずかしいぐらいだよ。

 思い出したくない時期なので、これまであまり話したことはなかったけど、当時はボクシングへの情熱を完全に失っていた。その理由は自分の中ではっきりしている。

 南京都高3年のとき、「とやま国体」で個人(バンタム級)、団体で優勝した。でも、これが自分の限界だと思っていた。ボクシングを続けるつもりはなかったけど、専修大からスポーツ推薦の話が舞い込んできた。試験を受けなくていいし、授業料は全額免除。こんないい条件を断る理由がない。「まあ、東京に行ってみようか」というぐらいの軽い感覚で入学した。専修大には失礼な話だけどね。

 燃え尽きたような状態で上京したから、勉強にもボクシングにも強い意欲を持てなかった。スポーツ推薦だから単位は簡単にくれるだろうと高をくくっていたら、1年で取ったのは10単位。このままじゃ卒業できないと焦って、2年になると出席重視の授業を必死に受けていた。その成果もあって、2年では50単位を取ることができた。こんな苦い経験があるせいか、今でも単位が足りなくて大学を卒業できない夢を年に何度も見る。随分時間がたっているのに…それだけ不安があったということだね。

 授業の合間に励んだのは、ボクシングではなかった。寮が生田キャンパス(川崎市)の中にあって、練習が終わるとほぼ毎日、駅前のパチンコ店に入り浸っていた。その店はとにかくよく出ると地元で評判で、一日に30万円ぐらい稼げるときもあった。大学生にとっては大金だったけど、貯金なんてしなかった。稼いだ金をまたつぎ込む。その繰り返しだった。

 もちろん、いつも勝てるわけじゃない。親には申し訳ないけど、実家からの仕送りを2、3日で使い果たしたこともあった。今思えば、適度に楽しむレベルを超えていた。寮では3食用意してくれたから食べるには困らなかったけど、お金がなくて何度も冷や汗をかいた。今もリングで冷や汗をかくことがあるけど、あのころの経験が生きているような気がするな。

 ボクシング部では、1年からレギュラーで関東大学リーグ戦に出してもらった。でも、本気では取り組んでいなかった。リーグ戦では(現在より2階級上の)フェザー級だったので、1年のときの成績は2勝3敗と負け越していた。2年では4勝1敗。負けても、悔しいという気持ちは全くなかった。これでは強くなれるわけがない。

 もうすぐ13度目の防衛戦を迎える。“冬眠期間”だった二十歳のころの自分には想像できない試合。でも、あの冬眠があったから今の自分があると思える。これが運命ってやつなんでしょうね。 (あすに続く)

山中 慎介(やまなか・しんすけ)

 1982(昭和57)年10月11日生まれ、34歳。滋賀・甲西町(現湖南市)出身。南京都高(現京都広学館高)でボクシングを始め、高3で国体優勝。専大に進学しアマチュアでは47戦34勝(10KO・RSC)13敗。2006年1月に帝拳ジムからプロデビュー。10年6月に日本バンタム級王座を獲得し、11年3月の初防衛後に返上。同年11月にWBC世界同級王座を獲得し、今年3月に日本歴代単独2位となる12連続防衛を果たした。プロ戦績は29戦27勝(19KO)2分け。左ボクサーファイター。1メートル70.5。

http://www.sanspo.com/smp/sports/news/20170808/box17080811000001-s.html
高校時代には国体で優勝した山中(右)。大学でもボクシング部に入ったが、“燃え尽き症候群”に襲われた (本人提供)
http://www.sanspo.com/sports/images/20170808/box17080811000001-p1.jpg