その体つきは、一般にイメージされる高校球児とは大きく異なる。眼鏡をかけた肥満体の生徒や、とても小柄な生徒。私立のスポーツ名門校のヘラクレスのような体格の生徒を見慣れていると、生徒の体格のギャップにはショックを受ける。

 使い古したグラブでキャッチボールをするしぐさもぎこちない。この学校も他校と連合チームを組むことが決まっているが、合同練習は週に1回程度、それでも全員がそろうことは滅多にない。部員は「大阪府大会で1勝したい」と抱負を語る。しかし「1勝」すら遠い目標だ。

 大阪府大会では、連合チームは各校のばらばらのユニフォームを着て試合をする。統一のユニフォームを作る予算はないのだ。ほかの学校との実力差は明らかだが、大阪府ではシード制をとっていないこともあって、連合チームが甲子園を目指す強豪校と対戦することもある。

 プロを目指す選手の鋭い打球が、眼鏡をかけた肥満体の内野手の体をかすめる。審判員の中には「一緒に試合をするのは危険ではないか」という声を上げる人もいる。早い回に大量点を奪われ、連合チームは早々に敗退する。多くの場合、スタンドには応援団はいない。知り合いがぱらぱらと声をかける中、生徒たちの夏はひっそりと終わる。

 あたかも「格差社会の象徴」のような風景が、今年の県予選大会でも、全国で見られたはずである。

 「野球離れ」が進行する一因として、高校野球の「スパルタ指導」があると言われる。ある野球指導者がアメリカへ行ったときに「日本じゃ、マフィアが子供たちに野球を教えているんだろ?」と言われてショックを受けたという話を聞いたことがある。

■いい変化もある高校野球の現場

 確かに、昔は鉄拳制裁は当たり前で、上下関係も厳しかった。また多くの部員がいる有名校では、3年間で1試合も出場できない生徒もたくさんいた。今も皆無とは言わないが、有名校も無名校も取材した経験でいえば、高校野球の現場はずいぶん変わってきたと思う。

指導者の暴力はほとんど聞かなくなった。指導者の多くは「昭和の時代は、殴ってでも子供たちを仕込んだものだが、今はそうはいかない」と言う。

 ただ、今も大声で生徒をしかりつける指導者はいる。横で聞いていてもびくっとするが、そういうチームには怒鳴られた生徒をフォローするコーチがいる場合が多い。「監督の指導を勘違いさせないために、しっかり説明する」のだという。

 100人以上の部員がいる学校の中には、2軍、3軍とチームを編成して、練習試合や他校との交流戦を組むケースも増えてきた。昔は、1年次に何十人も入部した部員がふるいにかけられ、3年になると数人しか残らないケースもしばしば見られたが、試合に出られない生徒へのフォローが行き届くようになった。

 野球エリートでなくても、高校野球をそれなりに楽しむことができるようになったのだ。継続率が上がったのは、こういう学校が増えてきたからだろう。絶対的だった先輩後輩の上下関係をなくした学校もある。野球部寮を廃止し、一般の生徒と同じ寮で生活している野球部員もいる。

 過去50年で8月の平均気温は2度以上上昇しているが、過酷な夏の大会の試合環境も進歩している。甲子園では、ダッグアウトにもエアコンが設置されている。背面といすの間から冷気が出るようになっている。選手たちはイニングの変わり目には短時間だが涼むことができる。また給水も頻繁に行うようになっている。

 球場に医師団が待機するのは昔からだが、今ではAED(自動体外式除細動器)を完備し、熱中症対策も万全だ。関係者からは「どちらかというと、選手よりも審判や応援団のほうが、熱中症の危険が高いんじゃないか」という声も聞こえる。

 また、登板過多に配慮して、地方大会、全国大会ともに、準決勝の前日には「休養日」が設けられている。少なくとも3連投は避けられるようになった(雨天中止になると休養日がつぶれるので、その限りではないが)。多くの高校ではエースに負担が集中するのを避けるため、複数の投手をそろえるようになった。