国家社会主義の大衆集会

これに反して、国家社会主義の大衆集会は、もちろん「低罠」
集会ではなかった。そこでは、実に二種類の世界観の大波がたがいに衝突する。そして集会は、
なにか愛国的な歌を単調に歌って終るのではなく、民族主義的、国家主義的熱情の熱狂的な爆発
でもって閉じるのである。
 われわれの集会では盲目的な規律を導入し、集会幹部の権威を無条件に確保することが、最初
からただちに重要であった。というのは、われわれがしゃべることは、ブルジョア的な「報告
者」のような無気力なムダ口ではなく、内容や形式によって、つねに相手を怒らせて抗弁せしめ
るようなものであったからである。そしてわれわれの集会には相手がいたのだ! かれらが数人
の扇動者をその中にまじえて、きょうこそはおまえたちと決をつけるぞ、という確信をみんなの
顔面に反映させながら、大挙してきたことが、どんなにしばしばあったことか!
 そうだ。当時かれら、すなわち赤色のわが友人たちが、今晩こそあらゆるガラクタを投げあっ
て、すべて結末をつけてしまおうと、あらかじめ任務を教えこまれて、文字どおり縦隊になって
ひきつれてこられたことが何度あったか知れない。さらにまたすべてが一触即発の状態であった
こともしばしばだった。そして、わが集会幹部の仮借なきエネルギーと、われわれの会場防衛者
の断固とした猪突猛進性が、つねに敵の企図を阻止しえたのであった。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」