であるから出席者全員の意思でそういう討議は度外視して、そのかわりにみんなで「われら
唯一の民族同胞」の叫びに唱和するために起立してほしいなどというのだ。かれは最後にドイツ
チュラントの歌を歌うことで会を閉じることを求めたのだ
 そしてかれらは歌った。わたしには、ちょうど第二節ではやくも声が小さくなり、リフレーン
のところだけふたたび力強くなったように思えた。そして第三節にいたっては、この感じが強
くなり、だからわたしはみんなが文句をはっきり知らないのではないか、と思った。
 だが、そういう歌をひとりのドイツ国家主義的魂をもったものが、心からの熱情で天に向かっ
て驚かせるならば、これは大した問題ではない。
 それに続いて集会は終った、つまり誰もが、あるものはビールを飲もうとして、あるものはカ
フェーへ行こうとして、さらにあるものは新鮮な空気を吸うために、早く出ようといそぐのだ。
 そうだとも。空気の新鮮な外へ、ただ外へ出るのだ! これがまたわたしが感じた唯一のもの
だった。そしてこれが何十万のプロイセン人やドイツ人の英雄的闘争を賛美するために奉仕すべ
きことなのか? チェッ、畜生、くたばりやがれだ!
 もちろん政府は、このようなことが好きなのだ。もちろんこれは「平和な」集会である。
これなら安寧秩序のための大臣は、実際に感激の大波がとつぜんに、当局が定めた市民的端正さ
を破るかも知れないと心配する必要はない。とつぜん、感激に興奮して人々が会場から流れ出し、
カフェーやレストランに急ぐのでなく、四列に並んで足なみそろえて、「誉れぞ高きドイツ国」
を歌いながら、街頭を後進し、こうして治安にきゅうきゅうとしている警察に面倒をかけるなど
と、心配する必要もないのだ。
 そうだ、そういう国家の市民でもって、人々は満足することができるのである。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」