『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)

朝鮮総連、民団、日本人左派知識人をも軽々と敵にまわす鄭大均先生の自叙伝的ストーリー。
母親は日本人で、父親は在日一世。妹など身内が発する在日コリアン論にも深く追求している。

妹は、自分の不幸になったのはすべて日本のせいだ、朝鮮民族は日本にすべて奪われたのだと言い、
氏名変更の義務があったわけではないのに「創始改名に屈せず」と表現し、いつでも韓国に帰国する自由があるのに「帰ることを許された」と表現している。

妹は自らを抑圧や差別の被害者として規定し、生き証人として生きようとしているのだ。
鄭大均はこのような被害者意識に人生の根拠や動機を見いだすような生き方を強く批判している。

朝鮮総連、民団、日本人左派知識人は「帰化は同化である。帰化は同胞への裏切りである。在日朝鮮人は強制連行の被害者である」という言説で歩調を合わせてきた。
鄭大均は「自分は何者であるか」というアイデンティティの問題に関心があったのに、彼らは加害国日本に対する糾弾ばかりに焦点を合わせているので、違和感があったそうな。
また、多民族共存だの、国際社会への貢献だの、きれい事を言うだけで、実際に多民族ファミリーを実践している人はいないことから、彼らの発言に欺瞞を感じていたようだ。


>鄭教授も、若かりしころは韓国民族自主統一青年同盟のメンバーとして民族運動に携わっていたとお聞きしています。
>在日として、姜尚中さん的な被害者意識にのめり込まなかった理由は何でしょうか。
>
>鄭 わたしにも、被害者意識に憑依してものを語る、そういう時期がありました。我々は日本で生まれた二世であって、
>文化的にも社会的にも日本人と変わるところは何もないんだとか、韓国に帰属意識があるわけでもないのに韓国籍を
>持ち続けるのはおかしいんだとか、そういうことが明瞭になるまでには、けっこう時間がかかりました。
>
>比較的若いころにアメリカを体験したことと、韓国で長く暮らしたのがよかったんでしょうね。あとは嗜好の問題でしょう。
>自分の被害者性を語ることのおこがましさに慣れることができるかどうかの問題ですね。
>わたしはそんな気持ち悪い役割は担いたくないと思った(笑)。
http://news.livedoor.com/article/detail/5979387/