船越の極々内輪の関係者から、“壊れかけた”夫妻の状況が私に伝えられたのは、今から約10年前のことだった。
 関係者2人と東京・銀座のホテルで会った。細かいデータが手元に届いた。
2004年8月、船越がヘルニアで東京・竹ノ塚の病院に入院。入院中に松居が開いた記者会見の内容は「ウソ」。
06年12月、家族ぐるみで交際のあったAさん一家とのトラブル。
07年、松居がフィリピン人家政婦に加えた暴力。亡くなった船越の父・船越英二さんに対する暴言。
08年、船越の20年来の友人だったKさんとの金銭問題。
09年11月、松居の暴力で船越は頭蓋骨陥没。これが原因で顎関節症、顔面麻痺などなど。
夫妻の“破綻”エピソードは、数え切れないほどの量だった。

 ここまで知らされれば、私の中にも、夫妻の離婚が見えてきた。
しかし、取材を始めた初日に、信じられないような出来事が目の前に起こる。
夫妻で、ヨーロッパ旅行に出かけていたのだ。「夫婦のことは夫婦にしかわからない」ということなのか。
 その後も、松居の暴力行為は私に伝えられた。
10年6月、船越のマネジャーとの騒動。9月、 船越が撮影を続けていた京都に、船越の荷物が大量に届く。
同じように神奈川・湯河原の実家にも届けられていた。その荷物を船越は、新しく借りた都内のマンションに運んだ。
そのときの写真も私の元に来た。12月、東京・お台場のホテルでの支払い問題をめぐる松居の暴行。

12月12日には、船越が初めて「離婚」を口にする。

関係者から「船越さんが、離婚すると言ってます。記事にするのを少しだけ待ってください」と連絡が来た。
周囲の関係者の安堵した顔があった。松居の暴力で壊されたという、船越の眼鏡の写真なども私に届いた
(不覚にも私が携帯を変えて消えてしまったため、再度入手に協力していただいている)。

11年2月、船越の妹の一周忌で関係者が知った松居と妹の確執。11年4月、船越、松居別居。

 その後も関係者から伝えられたのは「会見での松居のウソ」という話ばかりだった。
中には、松居が自殺をほのめかし「1億円を要求した」などという内容も。
別居中である船越のマンションのドアの前に「船越さんのご両親と妹さんの位牌が置かれていた」という信じられない情報も寄せられていた。
「私、船越にまったく未練はありません。命を懸けて、最高裁まで争います。船越が『申し訳なかった』と頭を下げるまで、ガッツでまいります。
私は絶対にうそをつきません。すべてを公開してまいります」と、スポーツ紙の取材に答えた松居。
船越が離婚を言い出せなかった原因は、こうした「騒動」になることが見えていたからだったのだろう。
それにしても、船越は「松居の恐怖」を引きずりすぎた感がある 。
時間は掛かりそうだが、真実は明らかにされていくことになるだろう。
それにしても、私の手元には、書ききれないほどの資料がある。