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貴重さに関する説明
https://kobayashi-shiryoubunko.jimdo.com/t16/
1 明治17年8月30日付 東京日日新聞号外(葉書号外)
こちらの号外。詳細は当該ページをご参照頂くとして割愛するが、ハガキ号外自体が現存が極めて少ない資料(ある先輩号外コレクターによれば、推定20〜30枚くらいではないか?と)で、私の19000点の号外の中でも唯一の葉書号外だった。
また、同内容の号外は、発行当時はそれなりの枚数あったと思われるが、郵便葉書に印刷して郵送するという性格上、全く同一(同宛先)の物はよほどのレアケースを除いて唯一無二であろう。

2 昭和16年12月8日付 名古屋新聞号外
    「英米と戦闘状態」
5 昭和16年12月8日付 名古屋新聞第2号外
   「ホノルルを大空襲」
言うまでもなく、真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦を告げる名古屋新聞(現中日新聞)号外。同日号外は第3まで確認されており、第1第2が通常の新聞4分の1以下の小型であるのに対し、第3は通常の新聞の半分くらいの大きさ。
どれも頻繁に見かける資料ではないが、第3に限って言えば比較的古書市場などでも見かける資料である。私のコレクションでも第1〜3まで揃っている状態であったが、第1と第2が今回失われた。

3 昭和16年12月8日付 大阪毎日新聞号外
    「ハワイ等奇襲奏功」(最終行が滅失しているもの)
4 昭和16年12月8日付 大阪毎日新聞号外
    「ハワイ等奇襲奏功」(最終行まで残存しているもの)
上記と同じく、開戦号外である。
TBS側の書面では最終行云々と言及されており、それ自体は間違っていないわけだが、より厳密に言うなれば、この2枚は同一ではなく、別版である(改行の位置をよーく見ると、違いがわかる)。
どちらがメジャーでどちらが稀少なのかは不明。

6 昭和16年12月10日付 朝日新聞号外
    「陸海軍協同で、比島上陸」
戦前号外で比較的発見されるのは、12月8日の開戦号外までで、それ以降は極端に少なくなる。
そもそも発行自体が激減することと、当時発行されたものが現在まで現存しずらい状況であったこと等がその理由。
本資料も、太平洋戦争初期の戦況を報じる数少ない号外の一つであった。

7 昭和18年9月9日付 中部日本新聞号外
    「戦争の大勢に影響なし」
本号外は、イタリア無条件降伏に伴い、大日本帝国政府が声明を発したことを報じる号外。
前述のように、太平洋戦争中の号外は非常に少なく、また開戦直後と終戦号外、そして後述のような共同号外スタイルのものを除けば、複数紙確認されているのはこの時だけである。
羽島知之『号外 昭和史1936-1945』(大空社)には同日付の中国新聞号外(広島)が収録されているほか、私の所蔵にも 日本産業経済(※現在の日本経済新聞)がある。
中部日本新聞は現在の中日新聞の前身で、上記にも名前が挙がっている名古屋新聞と、『新愛知』が戦時統合によって誕生した。
『中部日本新聞』題号の号外は、これまで戦後のものしか確認されていなかったのだが、本資料発見により、戦時中の同題号の号外の存在が初めて明らかになった。
言い換えれば、『中部日本新聞』になって最初の号外といえる。
その後も2枚目が見つかったという話は聞かず、その唯一の現物が失われてしまった。

8 昭和19年8月11日付 朝日新聞・産業経済新聞・大阪新聞・毎日新聞・共同特報
  「今暁本土来襲の敵機撃退」
共同号外形式の号外。
1944年6月16日以降、何種類かあるが、どれが出てきても超がつくほどの稀少号外である。
用紙不足その他の理由により、複数の新聞社が共同で号外を発行した。
敗戦を挟んで共販制度が解体される1952年頃まで少数存在している。