ろくでなし子が言っていた、それは親のエゴだってのに対して
見せないという親のエゴに走るのではなく、親が性教育を与えればいいじゃないか?
そういう趣旨だったと思うけれど、性教育って物自体が
”正しい性教育”ってものがなく、親個人個人の体験だとか認識、あり方になっちゃうから
それでも”親のエゴ”になっちゃうんだとは思うよなぁ

こういうことを言うと、僕の考えた道徳教育をすべての国民に与えたい
自称保守がニコニコして、国民的な日本の誇るべき性教育マニュアルつくりましょうって言ってきそうだけど

これだっていう、正しい性教育はなく
親のエゴがどうしても混じる

少年誌を読んでいる頃合の少年少女には見せないってのも
その親の考える性教育なんだよな

だから、水戸黄門の印籠よろしく、かっこつけてビシっと「それは親のエゴだ」って言うのは
本人は何か素晴らしいことを言っているようで気持ちいいのかもしれないけど
そのあとに親が子どもに性教育を云々言ってるのは
自分の顔をブンブンぶん殴っているのに気づいてないようでアホらしい

教育は洗脳だとか、いろいろな言われ方はされてるけど
上手く注がれるかはわからないけど、親のエゴを子どもに注ぎ込むのが教育だろうに
社会で教育ってのも社会が持つであろうエゴ、規範や常識だのを注ぎ込んで
社会の構成員として成り立たせるものなのだから