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宣伝

宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、
そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に
行われなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとすると
すぐさま効果は散漫になる。というのは、大衆は提供された素材を消化することも、記憶しておくことも
できないからである。それとともに、結果はふたたび弱められ、ついにはなくなってしまうからである。

大衆感情

民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦ない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、
逆に他者の絶滅を断念することは、たとえそれを自分が正しくないことの証明と感じはしないにしても、
自分の正義についての不確実さと感じとる。
大衆は本能のかたまりに過ぎず、かれらの感情は、敵同士であることを望んでいると主張している
人々の間のお互いの握手を理解しはしない。かれらが望んでいることは、より強力なものの勝利と
より弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。

大衆の心理

大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ。
女性のようなものだ。かの女らの精神的感覚は、抽象的な理性の根拠などによって定められるより
も、むしろ足らざるを補ってくれる力に対する定義しがたい、感情的なあこがれという根拠によって
決せられるのだ。だから弱いものを支配するよりは、強いものに身をかがめることをいっそう好む
ものである。大衆もまた哀願するものよりも支配するものをいっそう好み、そして自由主義的な自由
を是認するよりも、他の教説の併存を許容しない教説によって、内心いっそう満足を感ずるものであ
る。かれらもまた、たいていそれをどう取扱うべきかを知らないし、しかも容易に見捨てられている
と感ずるものである。かれらは破廉恥な精神的テロや、かれらが人間的自由をシャクにさわるほど虐
待されていることにも気がつかないのだ。かれらは全教説のうちにひそむ狂気に決してきづかないの
である。そのようにしてかれらは、目的のはっきりしているこの傍若無人な力や残虐さを見て、いつ
も屈服しているのだ。

アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」