「日だまり」へ通った感覚…羽生善治さん

「将来何になったらいいんだろ」「とりあえず進学かな」
東京都八王子市の都立富士森高校の教室で耳にする会話が僕には新鮮で、
同級生がまぶしく見えました。僕の進む道は決まっていたからです。

プロの棋士になったのは、中3の12月。それからは大人扱い。
高校に進学したものの、対局は年60〜80局。
月に10日も学校を休まなければならなかった。

毎日授業を確認して「月曜日はもう休めない、金曜日はあと2回は休める」などと
計算しては頭を抱えていました。大阪で深夜まで将棋を指して、翌朝始発の新幹線に乗って、
そのまま高校へ、なんてこともしょっちゅうでした。

すでにプロとして注目を集めていた18歳の頃
それでも高校に通い続けたのは、他の人と同じようにしたいって気持ちが
あったのかもしれません。当時は、漠然と大学にも進学するつもりでいました。

忙しくて部活もできなかったし、行事もほとんど参加していない。
でも、級友とノートを貸し借りして、たわいもないおしゃべりをして。

自宅から30分間、自転車をこいで河川敷を学校に向かうと、
厳しい将棋の世界から抜け出て、日だまりに向かうような感覚がありました。
単位を取りきれず、結局、別の通信制高校を卒業したけれど、
10代の僕にとって、あの場所はほっとできる空間だったのです。

僕のあまりの多忙さに、両親は「将棋に集中させてやればよかった」と思った
こともあるそうですが、僕は全く後悔していない。

高校があったから、僕は時間をやりくりし、短時間で集中したり、気持ちを
切り替えたりするのが上手になったと思っています。(2014年4月17日読売新聞)