>>453  戦前の日本人もそうやって嫌われて日系移民排斥運動がおきた

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日本の開戦だって、 決定的なとどめを刺したのは排日移民政策だからな。 根っこは人種問題だよ。

■日系移民排斥の歴史(昭和天皇もこれが戦争の遠因と言及)

・1893年、サンフランシスコの市教育委員会は驚くべき決議を発表した。
市内の公立学校は日本人生徒の入学を拒否する。

この決議は当時の日本領事珍田捨巳らの運動によってなんとか取り消された
・1901年、カリフォルニア州とネバダ州の州議会が「日系移民を制限せよ」との建議書を中央議会に送る。
・1905年にはサンフランシスコに「日韓人排斥協会(The Japanese and Korean Exclusion League)」が組織され
(のち「アジア人排斥協会(The Asiatic Exclusion League)」に改名)

・1906年サンフランシスコ学童隔離事件 
日本人生徒を公立小学校から隔離し、中国人学校に編入させるという決定である。
・1907年3月、ルーズベルトは大統領令(Executive Order)を発布、
ハワイ・メキシコ・カナダからの日本人の転航移民を禁止すると告げる。

・カリフォルニア州外国人土地法( 排日土地法)1913年に可決された、市民権獲得資格の無い外国人
(主に日系人らアジア系移民)の土地所有および3年以上の賃借を禁止した法律。

 大正13年5月31日 アメリカ大使館に隣接する空き地で割腹の自刃を遂げた無名の青年がいました。
アメリカ国内では「反日機運」が強くなり、その年の4月に「排日移民法」が成立したことに対して、
「生きて永く貴国人に怨みを含むより、死して貴国より伝えられたる博愛の教義を研究し、
聖基督の批判を仰ぎ、併せて聖基督により、貴国人民の反省を求め…」と遺書を残しアメリカに抗議しての自決でした。

 昭和天皇は戦後の回想(昭和天皇独白録)の中で戦争の遠因として以下のように述べています。

「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。
日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)
移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。
かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」

↑朝鮮人ID:PfvobjIg0 [6/6]とバカ左翼ID:PfvobjIg0 [6/6]にだまされて、いまだに日本政府や日本軍を批判してる低能が多いが、戦争は避けられなかったんだよ  
 日本人はアメリカが大好きだったから余計に差別されたという被害意識が籠もっていったんだ