黒田監督が柴崎を初めて見たのは、小学6年の時だった。

「1人だけ視野が広く何手も先を見ていた。度肝を抜かれた」。
すぐ付属の青森山田中に誘ったが、断られた。「家族が『山田はやめて』と。
岳のお兄さんがライバル校にいて『打倒山田』に燃えていたから」。
1度は諦めたが、数日後に電話が鳴る。
母美佐子さんからで「岳が説得してきて折れないんです。『山田に行かなきゃプロになれないよ』って」。
12歳の時から自分を曲げなかった。

「必ずプロにします」と預かった黒田監督は、英才教育を施す。
高校最高峰のプリンスリーグに中学2年生から飛び級で出場させた。
4学年も上の高校3年生に体格で勝てるはずがない。
強い当たりに地をはい、泣いて悔しがる柴崎を「お前だけ攻守の切り替えが遅い」とつるし上げた。

そして「あとは自己発見と自己改善だ。プロになるだけじゃなく日の丸を背負いたいならな」。
自分で考えさせた。柴崎は逃げなかった。遠征バスの最前列が指定席。
試合や長距離移動で疲れた仲間のいびきが響く中、ノートを持って黒田監督の隣に座り、試合の映像を見ていた。
「普通はミスをした日の映像なんて見たくない。でも岳はダメな日ほど助言を求めてきた」。

たまのオフにカラオケに誘われても興味を示さない。

「そんな暇はない。サッカーに歌唱力は必要ない」

と1人で練習場にいる日もあった。中高6年間ずっとそうだった。

負けず嫌いで先輩にも厳しかった。
高校2年のインターハイ神村学園戦。ハーフタイムの控え室に「バッチーン!」と音が響いた。
黒田監督が振り向くと、柴崎が3年生をビンタしていた。

「もっとやれねえのか!」。

目が血走り、涙ぐみ、肩を震わせていた。

「先輩相手に、よほどの覚悟だったと思う。その3年生は後半、激しく行って開始5分で退場(笑い)。でも10人で0−1から追いついた。絶対に負けるかと。」