世界の荒鷲・坂口征二 重病だった!“生還”までの激闘を語る
6/6(火) 11:00配信

「世界の荒鷲」こと坂口征二新日本プロレス相談役(75)が、大病を克服して“復活”を
果たしていたことが4日までに分かった。坂口相談役は2月に都内の病院で右ヒジの手術を受けたが、
その直後に感染症を患い、1か月間の入院を強いられた。退院後の4月上旬から必死のリハビリを始め、
一時は13キロも減った肉体も、往年の輝きを取り戻しつつある。
8月でプロレスデビュー50周年を迎える「世界の荒鷲」が、病魔に完勝した舞台裏を明かした。

――まさか入院されていたとは

坂口相談役:2月7日に右ヒジ尺骨の手術を受けた。現役のころから悪かったんだが、
手が震えて箸も持てなくなったり、字を書くこともできなくなってしまった。
1週間程度で退院できるというので思い切って手術を受けた。
患部は腫れたけど、2月10日には退院できた。ところが2月下旬に…。

――患部に細菌が入ってしまったと

坂口相談役:そう。75歳の誕生日(2月17日)もあったんで、身内で退院のお祝いをしたんだけど、
その直後に熱が40度まで上がり、体の震えが止まらなくなった。それでまた入院。
担当医から「感染症で4週間の入院が必要」と告げられ、3月いっぱい入院していた。
病気で入院なんて生まれて初めてだったけど、大相撲春場所と(野球の)WBCがあったんで
ヒマをつぶすには助かった(笑い)。

――感染症は死に至るケースもある。一部では「重病説」も流れたが、大病を患っていたようには見えない

坂口相談役:いや、大変でしたよ。123キロの体重が110キロまで落ちちゃって。
入院中は松葉づえに車椅子で食事もままならない。退院しても酒は飲めない。
そんなヨレヨレで弱った姿を人に見せたくはなかった。
藤波(辰爾の45周年)の記念大会(4月20日、後楽園)に行けなかったのも、そういう理由だった。

――世界の荒鷲ならではのダンディズムだ…

坂口相談役:歩行許可が出て初めて点滴を打ちながら病院のフロアを1周した時は息がゼイゼイ切れてさ。
がくぜんとした。首回りやふくらはぎの筋肉も、見る見るうちに落ちていってね。これはいかんと。
退院したら真剣にリハビリに取り組もうと決めた。息子(次男の憲二=俳優)がステッキを
プレゼントしてくれた時は「こんなもん使うか!」と思ったけど、せっかくくれたものだからね。
ちょうど退院が雨の日だったんで、傘とステッキを同時に持って、分からないようにして家に帰った。
知らない人が見たら「長い傘だなあ」と思っただろうね(笑い)。

――4月に入ると同時に退院。そこからの回復ぶりは驚異的だ

坂口相談役:科学的なメニューを病院で組んでもらい週3回、自宅近所のジムでリハビリを始めた。
ウオーキングや水泳で約2時間。それで(新日本の)道場に久々に通い始めたら、これが驚くほど効果があった。

――というと

坂口相談役:熱気というかプロレスのエネルギーかな。自分の孫と同じくらいの世代の子(練習生)が
必死に汗を流していてこちらもピリッとする。やっぱりプロレスの道場はいいなあと。
ウエートもやっているし、体重も増加している。手術前の体に戻りつつありますよ。

(後略、全文はソースで)
6/6(火) 11:00配信 東スポWeb
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170606-00000002-tospoweb-fight
新日プロ道場で上半身の強化に励む坂口相談役
http://www.tokyo-sports.co.jp/wp-content/uploads/2017/06/0ac86c1d1aef07cb4e530a6da20a9050.jpg