続々 ぬのぶくろ伝説まとめ

○高橋まこと主催、福島チャリティライブでのジュンスカ宮田和弥のMC
まことさんとは古いよね。ボウイが解散した位の頃、一緒に釣りに行ったんだよ。
面子が豪華でね。まことさん、氷室京介さん、松井常松さんと俺。
これ布袋さん以外w 当時のバンドの人間関係が解るね…後で殴られるかなw
○Just a hero制作時、布袋は佐久間のアレンジが邪魔とかBOOWYらしくなくなるとかぬかして佐久間さんを降ろさせ
その後も、スタジオワークのノウハウだけが欲しかっただけだとか傲慢で失礼なことを言って佐久間をディスった
○そんな佐久間さんが亡くなりそうだと言うニュースが流れた途端に俺が俺がと出始める
○NHKにて佐久間さん追悼番組
最近までずっと一緒に仕事して懇意にされてたTAKUYAの追悼コメントを差し置いて
ボウイやめてから一度も仕事してない布袋がしゃあしゃあと出て来て熱く語る違和感ありまくりの売名番組が放送される
○その放送後のツイート
布袋寅泰 ?@_HOTEI
あのドキュメンタリーは物足りなかったです。
○佐久間が今一番懇意にしてるTAKUYAよりずっと布袋のインタビューが長々と放送されたのに、この言いざま
○ちなみに番組で佐久間はBOOWYのことは話したが布袋個人のことには全く触れていなかった
○デヴィッドボウイと共演したいが為にしつこく何度も何度もホテルに詰め寄り売り込みをかけた
○BOOWYは最初6人組だったが、布袋が2人を邪魔者オーラを出しまくりのけ者扱いして首にした
その際、自分から直接言えないので月光の口から氷室に「首にしたい」と言わせた
○氷室は本当は布袋じゃなくて他のギタリストと組みたがったが
タイミングが合わなかったため、事務所に推されて第2希望の布袋にした
○再結成再結成うるさく騒いでかまってちゃんになっていたが
布袋が2006年ぐらいのファンとの交流会で
「ヒムロックとは10年近く会ってない、会いたいと思うけど彼はセキュリティが固いから(笑)・・・」と言ってた事がバレ
全く交流が無かったのに一人で騒いでただけだったことがバレる
○武道館で行われたオーケストラのコラボライブにただで行けたファンが何故か大量にいる事実が判明する
○その後武道館の音響ではオーケストラが全く活かされず音が最悪になることから
武道館でオーケストラの演奏なんて御法度に近いぐらいの無謀な事だったと判明する
○いつの頃からか氷室の回想インタビューに於いては
「バンドのギターが」等と個人名が一切出なくなる
○中学の頃から矢沢の大ファンだった氷室と違い全く矢沢の名前すら口にしていなかった癖に
矢沢の還暦ライブの発表があった後に突然矢沢の名前を口にしだす
○還暦ライブのスペシャルゲストに氷室京介とヒロト&マーシーが呼ばれる
○タランティーノだけが唯一の誇りであったが鼻息荒く持参した新曲は拒否られ
更にMETALLICA始め色々あたって断られたから既存の曲で良いや的な流れだったと解る
○そもそもキルビルのテーマソングに使われていた訳では無い
○イギリス移住で紳士ぶりだすが親父の頭を灰皿で殴って流血
駅前で女をナンパして食い逃げ、やり逃げ、山下をたらしこんで結婚したもののDVの日々
山下の友人の今井と不倫、今井に乗り換え脱税に関与、高岡と乳揉火遊び
町田を集団暴行した挙げ句深夜の山林に放置で起訴とか何が紳士だよwと笑われる
○MステにてギターだけのBOOWYメドレーを披露するがマリオネットすらまともに弾けない醜態を晒す
○その際ソロからは「江頭には正直迷惑してる」とぬかしてた「スリル」のみを演奏
江頭のお陰でその知名度の高さをアピールしダウンピッキングすらまともに出来ない事を披露なさる
○その際「ソロになってからBOOWYの曲を弾くのは抵抗があって」等とぬかしていたが
20年以上前のソロツアーで弾きまくっていた事やBOOWY曲だけのライブをやっていた事が判明する
○生放送の際、そもそも抵抗あるなら弾くなよwと総ツッコミされる
○ブライアンセッツァーの件の追記
リップサービスを真に受けドヤ顔で発表するが待てど暮らせど連絡が無く
待ちきれなくなり突然逆ギレし一方的にブライアンセッツァーと絶縁宣言をする
○数年後に何も知らないブライアンからBACK STREETS OF TOKYOという曲が提供され
焦って絶縁宣言をもみ消し無かった事にして平気な顔で共演し笑われる
○地鳴りがするほどのブーイングを浴びたストーンズとの共演も単なる箔付けの為だったとバレる
○コンプレックス殴り合い事件の真相
後輩の吉川は「一発でも殴り返したらアイツが病院送りになるから」と手を出して無かった事が判明する