【音楽】伝説のロックバンド、BOφWY復活か? 謎の広告出現にファン騒然©2ch.net
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https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1834307.html
伝説のロックバンド、BOφWYが復活か? 公式サイト等で謎の広告が掲出されファンの間で話題となっている。
88年に人気絶頂のまま解散したBOφWY。
今月28日にはデビュー35周年を記念し、過去作品の紙ジャケット復刻盤がリリースされる。
このほか、7月26日にはオリジナルアルバムのアナログ盤3作品も復刻される。
また、35周年記念サイトが公開されたばかりだが、さらに3日までにそのトップページに、「BOφWY20170807」と謎のディザー広告が表示された。
また、BOφWYの地元である群馬・高崎駅に同じ広告が掲載されているとする目撃情報がツイッター上で多数あがっており、
「8月7日に何が起きるんだ!?」「まさか・・・復活?!」「8月7日はあけといた方がいいのか?」とファンをざわつかせている。
日刊スポーツ
[2017年6月3日15時39分] 全てのシングル、アルバムが収録された完全版BOX限定発売とかだろ ヒムロック「オッケー、カモーン!」
意訳「いいですよ、来て下さい!」 解散から15年もの月日が経っても、未だ伝説としてその人気は衰えない。
それどころか、最近リリースされているDVD等の売り上げも驚異的だ。
そういう息の長い人気はプロレスにも通ずるトコロがある。とことん語ろうsぜ!
ちなみにマイベスト
1.鏡の中のマリオネット
2.B.BLUE
3.DREAMMIN
4.ONLY YOU
5.わがままジュリエット(ちょっと渋すぎるかW BOOWY 35th ANNIVERSARY
http://boowy35th.com/ また布袋の便乗商売か?
ヒムロックヤっちゃってくださいよ ん??布袋は望んでいるが氷室がノーって言っているんだろ? BOOWY 35th ANNIVERSARRYサイトオープン
<35>...その数字に、特別な意味はない。
1982年にBOOWYというバンドがデビューしてから、今年で35年が経った、それだけのことだ。
けれども、特別な意味がないにしても、わずか6年という活動期間に過ぎなかったこのバンドが、いまだに影響力を持ち続けているのは紛れも無い事実だろう。
日本のロック・シーンはすでにBOOWY第3世代と言っていい若いジェネレーションが中心となってドライブしているにもかかわらずだ。
であるならば、この35年という数字もにわかにリアリティを帯びてくる。
80年代後半というあのカオスの時代に、日本のロックに確かな実在を示し、あちこちに衝撃という楔を打ち込んだ。
BOOWY以前、BOOWY以降という表現があるが、その一番の違いは、彼らが混沌の地平に明瞭な景色をもたらしたことではないだろうか。
誰もがロックに自分のビジョンを描き、夢を賭けることのできる時代がすぐにやって来たのだから。
だからこそ僕たちは、現在の芳醇なロック・カルチャーを享受することができているのだ。
35年という機会に、彼らのそんな功績を肴に、あらためてBOOWYの美酒に酔いしれるのも悪くない。
懐かしい作品たちが一斉に紙ジャケで再発される。
LAのカッティングで新たな命を吹き込まれたLPもリリースされる。
偉大なアーティストのアニバーサリーってやつは、やっぱり意味があるのだ。
単純な回顧ということではなく、現在のシーンを通してその音楽を再発見することができる、無二のチャンスを与えてくれるのだから。
2017年。また新たな何かが生まれる年になるかも知れない。 リアルタイム世代だけど絶対に復活とか中途半端なことはしないで欲しい 80年代90年代に活躍したバントがよく再結成するけどオジさん達が派手な衣装着て当時の曲を歌ってるの見ると凄い虚しい気持ちになるんだよね >>31
ファンなら氷室の耳がダメなことわかってるからだろ これか
BOOWY 35th ANNIVERSARY
http://boowy35th.com/ 震災でやらなかったぐらいやしな
あれが最後のチャンスやったわ 本人たちていうよりレコード会社や事務所の経済都合による復活とかベスト盤とかあるだろ >>31
ファンなら、復活は絶対にありえない、って知ってるからじゃ?
暴威とガンズ、どっちが再結成の可能性が高いか、みたいな話。 >BOφWYの地元である群馬・高崎駅に同じ広告が掲載されているとする目撃情報がツイッター上で多数あがっており
事務所の仕込みだろw 2013/04/25(木) 20:28:48.50 [sage]
>>335
前の1224Filmのチラシに書いてあったグッズの販売元がhalebopp
ここは当時布袋のグッズを扱っていた会社だったかと
確かに限定オリジナルグッズとは書いてあるが
オフィシャルグッズとは一言も書いてない
ついでに1224Film自体も
Produced by SENJI KASUYA
Co-Produced by IRc2 CORPORATION
Presented by GYM the MANAGE and YUI MUSIC PUBLISHERS
1224そのものが布袋サイド主導で前回グッズの制作販売も
YUIの許可を得て布袋の会社でやっていたってことじゃないか
で今回はYUIが正式にオフィシャルグッズとして制作販売したと
布袋もYUIも何だかなあ
結局糟屋と布袋のBOOWY商法だったのが色々バレて来たね
やたらブログやらでBOOWYBOOWY呟いてたらしいし
コンプもだが結局金か、こいつわ。氷室もそりゃ再結成なんかやらねーよって言うわな
330 :NO MUSIC NO NAME:2013/04/26(金) 09:27:55.21 ID:lp/2OW3Y0
>>326
結局ボウイも裏で布袋が動いてたのかよww
これは氷室も知ってたんだろうな・・ 1978年
群馬県高崎市では、氷室京介率いる“ディスペナルティ”(松井恒松、諸星アツシも在籍)、
布袋寅泰率いる“ジギーリギー”(深沢和明も在籍)がしのぎを削り、コンテストの常連であったが、
氷室・布袋の二人は交流することなくお互いライバルとして意識していた。
その後、布袋はもう一つのバンド“ウィークリー”から、後にBOOWYのマネージャーとなるVo.の土屋浩を引き抜き、バンド名を“BLUE FILM”に改名。
1979年
EAST WEST’79関東甲信越大会で、ディスペナルティとBLUE FILMが決勝を争い、ディスペナルティが優勝。
氷室はベストヴォーカリストを受賞する。(全国大会でも受賞)
同年ディスペナルティは音楽事務所ビーイングと契約、氷室、松井、諸星が上京。
氷室はディスペナルティを解散し、“スピニッヂパワー”にVo.として参加し、12月21日、彼らのセカンド・アルバム『ボロー・ボロー・ボロー』でデビューする
1980年
4月、布袋と土屋もプロになるべく上京し、高円寺や新宿の小さいライブハウスで活動を始めた。
一方、氷室は方向性の違いからスピニッヂパワーを脱退し、新たにバンドメンバーを探し始める。
そして氷室は布袋にバンド結成をもちかけ、松井、深沢、諸星ともにバンドに参加する事が決まり、ここに“BOOWY”(当時は“暴威”)が結成された。
1981年
5月、新宿ロフトでライブデビュー(新宿ロフト「暴威LOFT FIRST LIVE」)
その後、新メンバー高橋まことを迎えて新宿ロフトでライブを続けるが動員数は20名程であった。
1982年
1月、バンド名を“暴威”から“BOOWY”に変更し、3月21日『MORAL』でビクターよりデビュー。ライブ中心の活動が続いた。
10月9日に行った新宿ロフトでのライブを最後に諸星、深沢が脱退。4人で再出発する。 布袋 「このたび、ミステリー小説を発表することになりました」 おれあんまりしらんねん
オタの間では有名だけど
聖子やピンクレディみたいに全国民はしらんよな >>44
復帰するにしても「ソロで」だろうしね。
もう20年以上前から没交渉なのに、今さらバンド活動なんてできっこないよ。
ソロになってから築き上げた人間関係があるんだから、そっちを優先するっての。 数年前だが、氷室は日テレの社員通用口のまん前でタバコ吸ってて
臭かったわ。痩せてるから身長サバ読みもばれにくいだけ、ということもその時わかった 再結成していずれライブするとしてホサカが来たらどうするんだよ? ネタバレだけど
氷室プロデュースのアイドルグループ「g-BOφWY」ってのがデビューするんだってよ
アイドル板ではもう周知の事実だよ >>53
布袋が一番ボウイ商法に必死だったのが後からバレたからな
土屋はかわいそうに どうせフイルムコンサートとかそんなもんだろ。
最後のチャンスだった震災の時に氷室が1人BOOWYやっちゃったから全てが終わった 氷室がライブ休止して1年、再結成はない
イベントかCDかブルーレイの発売でしょ 1983年
プライベート・オフィス、φ-con-nectionが本格的に始動。4月よりシリーズ・ギグ「アフロカビリー・ライブ」を開始。
9月25日、レコーディングに1年半を費やしたアルバム『INSTANT LOVE』発売。ビクターからジャパン・レコード(現・徳間ジャパン)に移籍。
1984年
ファンクラブ「FUNKLOVE」を作る。この頃、新宿ロフトはいつも酸欠状態で、ライブ継続が困難となっていた。
3月31日に新宿ロフトのファイナルとなる「すべてはけじめをつけてから」とタイトルを冠した「BEAT EMOTION」ツアーをスタート。
5月31日には渋谷Live innの記録を作る800人以上を動員。
業界の噂となる中、10月7日氷室の誕生日にユイ音楽工房と契約することを決める。これよりレコード会社は東芝EMI。
1985年
佐久間正英プロデュースのもと、ベルリンにて3rdアルバム『BOOWY』のレコーディングを開始。帰りにロンドンの「マーキー・クラブ」にて初の海外ライブを行った。
1stシングル『ホンキー・トンキー・クレイジー』を6月1日に発売した後、同月21日、『BOOWY』を発売。
渋谷公会堂をソールドアウトする(6月25日)など、ますます注目を集める中、8月2日、2ndシングル(12インチ)『BAD FEELING』を発売。
9月6日名古屋芸術創造センターより、「BOOWY’S BE AMBITIOUS」ツアー・スタート。
1986年
2月1日、3rdシングル『わがままジュリエット』発売。
3月1日には前年よりレコーディングを始めていた4thアルバム『JUST A HERO』を発売(布袋寅泰プロデュース、佐久間正英アドバイザー)。
3月24日より、青山スパイラルホールから「JUST A HERO」ツアーがスタートした他、6月1日の新宿ロフト10周年記念コンサートのトリを務めるなど、精力的なライブ活動を展開した。
そしてついに7月2日には、初の日本武道館ライブを行う事となり、そのチケットは3時間で完売。
「ライブハウス武道館へようこそ」のMCで一躍有名となったこの武道館のライブアルバム『“GIGS”JUST A HIRO TOUR 1986』は8月22日に発売され、限定10万枚は即日ソールドアウトとなった。
9月29日、4thシングル『B・BLUE』発売、11月8日、5thアルバム『BEAT EMOTION』発売、オリコン初登場1位を獲得(3週連続1位)、名実ともにトップに上り詰めた。
11月11日、「BEAT EMOTION ROCK’N ROLL CIRCUS」ツアー・スタート。 >>22の笑いのポイントがわかりません。
何が面白いの?? >>65
もう15年以上前からタバコ吸ってないはずだけど 1987年
2月24日、日本武道館にて「BOOWY ROCK’N ROLL CIRCUS」ツアー終了。
4月6日、5thシングル『ONLY YOU』発売(オリコン初登場4位)
7月22日、6thシングル『MARIONETTE』発売(オリコン初登場1位)
7月31日(神戸ワールド記念ホール)、8月7日(横浜文化体育館)の2日間、
アンコールを含めデビューからの39曲を4時間ぶっ通しで演奏するという前代未聞のライブ「CASE OF BOOWY」を敢行。
9月5日、6thアルバム『PSYCHOPATH』発売(オリコン初登場1位)
9月16日、宇都宮文化会館より「ROCK’N’ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」スタート
10月5日、ビデオ『“GIGS”CASE OF BOOWY1~4』発売
10月26日 7thシングル『季節が君だけを変える』発売(オリコン初登場4位)
12月24日、渋谷公会堂、アンコール最後の曲「DREAMIN’」で氷室が解散宣言。
BOOWYの歴史はここで幕を閉じる。
翌12月25日、主要新聞にメンバーのメッセージが掲載された。
「1987・12・24 BOOWY解散 4人でしか探せなかったモノ。自分達で有り続ける事へのこだわり。今度はひとりひとりで有り続ける事にこだわる為にBOOWYは昨日のクリスマス・イヴを選びました。最後のGIGSは必ず来年プレゼントします」
1988年
2月3日1stアルバム『MORAL』をリマスタリング、未収録3曲を加えた『MORAL+3』、12インチシングル『DAKARA』発売(ビクターより)
4月4日&5日、完成直後の東京ドームで「LAST GIGS」を行った。2日分の10万枚のチケットは10分でソールドアウトし、電話回線はパンク。
氷室の「俺たちは、まだまだ伝説なんかになんねぇぞ!」の言葉を残し、最後のライブは幕を閉じた。
5月3日、7thアルバム『LAST GIGS』発売、100万枚を突破。
12月24日、シングルコレクション・アルバム『SINGLES』発売 氷室一人でboowyやったほうが儲かるし、余計なストレスもない >>73
布袋の熱烈ファンに火つけられて家族が生死の危機に立たされてんのに
一緒にやるわきゃない >>46
震災にかこつけて軽々しく再結成するバンドのなんて多いことよ・・・
と当時は呆れたわw
BOOWYが再結成するのは氷室が死んだ時かな・・・ >>79
いや、吸ってた。そんとき俺は日テレで働いてた。2011年か2012年のどっちかだな まだ未公開の映像があるのかね?
金を取っていいレベルの映像なんて出尽くしたんじゃ? >>11
世間的には知名度は
ラムーのほうが上だったしな。 暴威は、暴威の顔であり象徴である松井常松が顔を縦に振らなければ復活はありえないらしいな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています