日韓W杯での失敗を糧に

ただ、今回ポルトガルが日本を合宿地に選んだのはただ日本との関係が良好だったからだけではなく、過去の教訓を踏まえての決断でもあったようだ。


 遡ること15年、2002年の日韓W杯で、ポルトガルは優勝候補に推されながらまさかのGS敗退の憂き目にあった。当時主将だったフェルナンド・コウトがこの時の最も大きな敗因として挙げていたのが「合宿地の選択ミス」だった。

いわく「韓国で試合をやるんだから、高温多湿のマカオではなく日本の北海道とかで合宿を張るべきだった」。選手たちは各クラブのシーズン終了直後で疲労が蓄積した状態のままマカオで合宿に入り、余計に疲労を溜め最悪なコンディションで大会に臨むことになった、と分析しているという。


 今大会でチームを率いるエミリオ・ペイシェは「フェルナンドの意見には賛成だ。日本と韓国には時差がないし、結果的に時差ボケの解消や選手のコンディション回復はとてもうまくいったからね。練習環境も練習施設も素晴らしかったし、天候も暑過ぎず寒過ぎずで練習するにはもってこいだった。

日本サッカー協会の方々のサポートは完璧で、ポルトガルで合宿している時と同様にストレスを感じることなく最高の準備がでたよ」と、日本での合宿に手ごたえを感じているようだった。


 迎えた本大会で、ポルトガルは2試合を終えて1分1敗とスタートダッシュに失敗。数多くのシュートチャンスを作りながらフィニッシュの精度を著しく欠いた2試合だった。さらに、チームの精神的支柱である主将ルーベン・ディアスが2戦目のコスタリカ戦で退場処分を受け、絶対的窮地に追い込まれた。

しかし、決勝トーナメント進出に黄色信号が灯った若きポルトガル代表は監督自慢の勝負強さを発揮。運命の3試合目でイランを逆転で下し、第一目標だったGS突破を果たす。ラウンド16ではホスト国である韓国との対戦が決まった。

 日韓W杯で、仁川の地でポルトガルに引導を渡しGS敗退に追い込んだ相手と同じ韓国を舞台に再戦。あの時の“敵討ち”の格好となるが、ポルトガルの日本滞在最終日、よもや韓国と当たるとは思っていなかった段階のペイシェ監督は「我われは過去の“悪い記憶”をいつまでも留めておくことはしない。2002年に韓国でポルトガル代表と不幸な瞬間を共有したのは認めるが、サッカーは屈辱を晴らすような感情を背中に抱えていては未来には向かえない。

それを踏まえて“新しい歴史”を創ることが重要で、そうしようと強く思っている」としてリベンジを否定していた。一方、ホテルで雑談した他のテクニカルスタッフは「ポルトガル国民はあの不当な結果は忘れていない。彼の地(韓国)で心に期するものはいつもの試合以上に強い」と本心を吐露してくれていた。


 そうして迎えた大一番で、若きポルトガルイレブンは躍動。3-1の完勝で韓国を下した。試合では、GS突破を決めたイラン戦同様、この日もミドルシュートにこだわったペイシェ監督の采配が的中。先制ゴールを決めたシャダス、初めてスタメンに抜擢され2点目を挙げたブルーノ・コスタといったミドルシューターたちが活躍した。


 ポルトガルにとって、日本をキャンプ地に選んだ吉凶は完全に吉と出た。それも大吉だ。試合終了のホイッスルを聞いた瞬間に、コーチ陣と抱き合いながらピッチに泣き崩れたペイシェ監督の姿が、それを雄弁に物語っていた。

「感情を解き放ってしまったチームは次の試合には勝てない」のが短期決戦のコンペティションの常だが、試合後の選手たちは監督よりは喜びの発露は控えめで、うなだれるルーザーたちの手を取って観客の拍手に応える余裕を見せた。それは、ポルトガルが長年の呪縛から解放された瞬間であり、「黄金世代」以来の優勝も現実味を帯びてきた。